2015年6月11日木曜日

探しても見つからないこと

メガネを額の上にかけたまま、

メガネ、メガネ、と、

探している冗談を

目にしたことがあると思います。


僕が以前そうだったように、

感覚的に分からない状態というのは、

だいたいそうやって探している様子になっているのでした。


幸せになりたいと思って、

そうなる自分を思い描いて、

神様にお願いして、

なるべく近い将来そうなれるように、

今から出来ることを始めてみる。


ごく当たり前のように

そうしていました。


でもこの方法では、

幸せになっていく過程を楽しめても、

肝心な満たされている感覚をつかむことが出来ません。


思い描いている将来のほうが、

今より幸せ、としているので、

いつまでたっても未来の話です。


今から始める何かが、

楽しく時間を過ごせるならまだしも、

きついことならば、

それを頑張る日々は

未来のことしか見えなくなっていきます。


今という瞬間がどれだけ幸せで満たされていたとしても、

それを全部未来へ注ぎ込むことが尊いと思ってしまうのです。


今ここにある完全な幸せは、

見えなくなってしまいます。


その状態からでは

今この瞬間ほど尊いものは無いということが、

自分の思い描いている未来との比較になるので、

真の意味で分かることはないと思います。


今ここにいるという感覚に寄り添ったまま、

完全に探すのを止めたとき、

少しずつ見えてくるのです。


自分の外側で感じるわけもなく、

内側だけでもないと、

少しずつ確信していくのです。


今この瞬間、

全てが満たされているという感覚を

自分が体験しているのです。


誰かにお願いして、

やってもらうわけにはいきません。


僕が探すことを止めたときは、

幸せな将来など無い

ということを落とし込むのに

少し勇気がいったのを覚えています。


探しているあいだは、

嫌な感じがしていても、

今それを受け入れなくて済むような気がしていたんです。


今この瞬間に何があっても、

受け入れられるのだろうか?


それが最後の恐れでした。


今あることを受け入れはじめると

自分が全てに解放されていきます。


今もまだまだ解放中で、

どんどん開いていってます。


途中、え?こんなことにも?

みたいな場面もありますが、

もう開き始めると

どんどん新しくなるので、

気になりません。


これからも

ずっと受け入れては

手放しつづけていこうと思います。



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