本当の自分に出会って、
自分本来の生き方をするには、
どうしたらいいのでしょう。
僕にお伝えできるのは、
簡単に言うと、
自我を放棄することです。
もう少し違う言い方をするなら、
自我とは何なのかということに気づくことです。
なんの修行もいりません。
自我の正体が何なのかが分かれば、
手放すことが出来るんです。
手放すというよりも、
気にしなくなるという感じです。
めちゃくちゃ簡単に言わせてもらうと、
自我とは、
単なる思い込みなんです。
自分はこれこれこういう人で、
こんな性格で、
こういうことが好きでこういうことは嫌いで、
と自分に思っていること全部です。
そういった思いの類はすべて、
頭の中だけの出来事で、
自分とは何なのかを分かりやすいように
言葉で理解しようとしているだけであって、
本当の自分そのものではありません。
なぜならば、
思うということ自体が
本当の自分とは別に勝手に起きている事象だからです。
勝手にというよりは反射運動と言うほうが理解しやすいかもしれませんが、
風が吹いたら葉っぱが揺れるのと同じです。
今までずっといろんな事を思いながら
生きてきて余りにも自然にやっていることなので、
思うこと自体が自分であるかのように
思ってしまっているんです。
例えば、
自分の手を見ながら、
グーにしたり、パーにしたり、チョキにしたりを
自分で言いながらやってみれば分かります。
めちゃくちゃ早くやろうとすると、
とんでもなく間違えます。
実は自分がぼやぁ~っと思っていることに体は反応しているだけで、
自分がこうしようと思ってから動いているのではないんです。
思うという行為は、
事象が起こってからそれを理解して記憶するために
脳が自動的にやっていることなんです。
それはそれで凄いスピードでやっているので、
脳も凄いと思います。
でももっと凄いのは、
グーとかパーとかチョキのことを
何となくぼやぁ~っと思った瞬間には
もうすでにそうなっている手です。
思うより早くすでにそうであるところのもの、
それがそこにあるんです。
自分が自分のことを
思う通りに動かしてきたのではないんです。
少なくとも自分が意識して思えるレベルでは、
行動のほうが先にあります。
思うより先に
本当の自分はそこにいて動いているんです。
自分が考えたり、思ったり、感じたりするよりも前で経験しています。
その前にいる本当の自分に気づかずに、
後から思っていることを自分であるかのように見てしまっているとき、
素直さに欠けてなんだか嫌な気分になっていたように思います。
そこに自分がいるということをどう思っていても、
その場面を経験して、感じて、さらに行動して次へいくのです。
それを頭が言葉で理解しようとしていても、
全てを捉えきれることもないし、
それによって良いも悪いもありません。
今までもそうだったんです。
思うということに、
あまりにも重きを置いていたために、
純粋に経験するということができなくなっていたのでした。
考えたり思ったりすることも、
ただの自然現象の一部と思うと、
自分の純粋な経験がよみがえります。
子供の頃の感じと似ているけれど、
ちょっと違うのは、
やっぱり今の経験値があっての歓びです。
放棄といっても、
何かをなくすようなことではありません。
ありのままでいいんです。
自我を放棄したいという思いから、ここに行き着きました。
返信削除思考や考えがただの自然現象でただ起きているだけ…という見方、視座を示して頂いたことに心から感謝します❗本当にありがとうございました!
何かしらお力になれたのなら幸いです。
削除人それぞれに経験していることから、言葉が触れることの出来る感覚が違うこともあるかもしれませんが、この宇宙の仕組みの中で起こることとは、実は人それぞれの場所から同じものを見ているだけなのかもしれないなぁなんて思ったりもしています。
いろんな経験があっての今ここ、だと思いますので、今まで一緒に過ごしてきた自我さんも、大切にしてあげてください。
ありがとうございました。