それを解きほぐすには、
問題があると感じていることをちゃんと受け入れること、
そこから始まります。
この事をちゃんとしていないことが多くて、
受け入れてしまえば
なんてことはないなんてことはよくあることなんです。
感じていることを無視しようとしたり、
その思いを抱く自分を別の角度から見たりするのを辞める。
誰か他の人の言うことが、
気持ちを楽にしてくれることもありますが、
「こう思ってみたらいい」みたいなことが本気で思えないならば、
信じるということも、
信じなければ意味がないんです。
疑ってしまうという逆の一面も一緒になっているので、
心は静まりません。
やっぱりまずは、
自分は今、問題を抱えてここにいると認めて、
一つづつ見ていくのが一番なんです。
だいたいは、
自分が不快な思いを抱きたくないことから、
ちゃんと見ていないことに言い訳したりします。
大丈夫です。
不快だったり嫌だったりする感情は、決して悪者ではありません。
ひとつの感情です。
そのことが理解できればその時点で少し落ち着いているでしょうか。
そうしたら、
その感情を抱かせる問題点はどこにあるでしょうか。
社会的な事にせよ、個人的なことにせよ、
その時点で変化が始まります。
次の瞬間、
そこから自分が離れていくか、
もっと変化と共にいるかです。
結果が思うものと違うかもしれません。
結果を恐れているならば、
結果が分からないうちから、
妄想が膨らんでいるだけです。
妄想は真実ではありませんが、
視覚や感覚を伴って
あたかも真実であるかのように感じることもあります。
そんな時、
そこには何も無いということを理解できれば
妄想は終わって、
結果に囚われずに変化にまかせられます。
では問題点として感じることが、
目の前ではなく、
漠然としていて大きい時はどうでしょうか。
自分にはどうすることもできないような、
大きな出来事ですが、
確かに自分の内に、
不快な感情を抱いてしまうようなことがあるとします。
そんな時でも、
基準になるのは自分のいる今ここです。
漠然としているものでも、
自分として行動することが自ずと湧き出て来るなら、
その時は考えることを手放してみましょう。
妄想をやめて、
思考の世界から飛び出して、
今出来る本当の経験を味わえる時です。
それは辛いかもしれません。
苦しいかもしれません。
この場合も結果として自分の思う通りではないかもしれません。
でも、問題ではありません。
確実に変化している自分を感じているからです。
では漠然としていて、
自分として何をしていいのか分からないような問題、
と感じられるものはどうでしょう。
それも基準は今ここにいる自分です。
何をしていいのか分からないようなことを、
問題として感じているのは確かですが、
今自分は何も分からないんだということを認めましょう。
そのことを本当の意味で責めることの出来る人は、
自分自身しかいません。
問題として感じていたのは、
自分を責めてしまっている自分の思いが
確かに問題のように見える出来事に
投影されていただけではないでしょうか。
そのように自分を見るようになってから、
僕個人が思うのは、
全てがプラスとマイナスに相反する面を持つ出来事として
同時にたくさん起こっているだけで、
その一面から見て
いいとか悪いとかは
有り得ないことと感じるようになりました。
今まで何かを失ったことも無ければ、
何かを得たことも無かったんです。
確かに起こって欲しくないことが起こるんですが、
それも含めて、
何もかもが一生懸命に生きている今を、
ありのままで受け入れること、
それがまず一番大切なことだと思うようになりました。
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