自分の内側で起こります。
自分以外の人が分かっても、
自分に分からないことは、
「あ!そうか!」とはなりません。
でも自分の内側で起こることが、
外側に反映されているだけなので、
内側と外側という分け方は、
本当は出来ません。
気づくということは、
そのままを受け入れている自分に気づくだけで、
そのままを受け入れることで、
変化したり、させたりする必要が無くなるから、
なので、
分かったから、
あんな風になったり、
言葉で、自分に納得させようとしている場合があると思います。
気づきが本当に腑に落ちたとき、
空間が安堵感で満たされます。
空間が自分の内側を反映しているからです。
分かった!と思っているにもかかわらず、
それは結局自分に嘘をつこうとしてしまうことになるため、
気づきには成り得ないんです。
納得出来ない事は、
納得出来ないままにしておく、
それに感情がくっついたりするのはまた別の出来事で、
分からないことは、
分からないままでいいんです。
そのままリラックスしていればいいんです。
「あぁ~、分からないことってあるよなぁ」でいいんです。
それでいいんだぁ、
という安堵感で内側も外側も満たされます。
内も外も無くなっていきます。
0 件のコメント:
コメントを投稿