あぁ~、なんだか仕事をする気がしないなぁ、、、
なんてなることがしょっちゅうだった僕は、
何とか自分を仕事に向かわせるために、
この稼ぎが何のためになってるか、
考えてみるのでした。
家族が喜んでご飯を食べてるじゃないですか。
週末の楽しい時間を作れてるじゃないですか。
新しい服が、新しい靴が、
好きな事が出来るのも、この仕事があるからだ....................
ってどれだけ自分に言い聞かせてみても、
また同じ答えがやってきました。
「今は、しょうがない。。。。」
確かに気が乗ってて、
バリバリ出来る時もある。
そんな時は何も気にならないし、
仕事をするということ自体が
喜びとして感じられるものです。
ただ、ほんとに些細なことで、
その喜びは消えて、
我慢して仕事に集中することで、
その日その日を終えていくのでした。
少しの喜びのため、
多くを犠牲にしているとは思いたくないので、
少しでもポジティブになれる考え方を
学ぼうとしていました。
優しい言葉や、
励ましてくれる言葉、
勇気づけられる言葉、
同調してくれる言葉なんかを、
常に探して、
自分に言い聞かせては、
自分の見たくない自分から
目を逸らせて生きていました。
抱えた矛盾を解消することが出来なければ、
自分につき続けた嘘が、
どんな形で自分に返ってくるかなんて、
考えたくもない。
世にある痛ましい出来事の多くが、
そんな事柄の現れなんじゃないだろうか?
そんな風に思っていた矢先に、
こんな言葉に出合います。
「自分なんてものは、どこにもいない。」
意味がよく分からなかったんですが、
これならいける、
みたいに思いました。
そもそも自分の見たくない自分もいなければ、
目を逸らしている自分もいない。
自分がいなければ
自分への嘘もないし、
何も返ってこない。
何も怖がることもないし、
痛ましくもない。
当然、矛盾など無い。
このままいっても、
中途半端な苦痛にさいなまれるようで、
それが本当に嫌な気がしたので、
本気で、
僕がいるのかいないのかを、
確かめることにしました。
僕の中心はどこか。
僕の境界線はどこか。
いつから僕がいるのか。
客観的に見ていると思っている対象がそもそも何なのか。
脳の中?
意識の中?
心の中?
魂の中?
いるという証拠もなければ、
いないという証拠も提示できない。
中にいなければ、
外は?
どこの外?
いるという感じだけが、
この肉体を伴って動いています。
いや、この肉体に関係なく
いるという感じがここにあります。
この、
いるという感じにとどまっていると、
とてもリラックスしてきました。
そのまま仕事にかかれば、
今までもそうだったように、
どんな状態であろうと仕事をこなしている自分と、
いろいろ考えていてもそれと関係なく
いるという感じはずっとあったことに気づきます。
抱えていた矛盾は、
解消しなければならない問題としてではなくて、
少しアンバランスな状態で思いこんだイメージの一部分として、
捉えなおすことができるようになります。
それらに対してやるべきことはありません。
気が付くと、
笑いながら仕事に打ち込んでいました。
ポジティブに考えようなんて思わなくていいんです。
そもそも自分なんていないんですから。
0 件のコメント:
コメントを投稿