的確に決断して行動すること、
このことが完璧にできれば、
何の心配もいりません。
でも、
そんなに上手くいくわけが無い!と考えて、
自分にちょうどいい感じを探して辺りを見てみると、
何となくそれなりにやっている人達がいて、
それなりにいい感じなので、
良くは分からないけど、
そんな感じでやってみたら、
たまに嬉しいことがある。
良く分かっていないことがあるので、
なるべく大きな決断は避けていて、
それでも決めなければならない時は
多くの人がしていることを参考に
他の人の意見も聞きながら
まず間違いないだろうということを選択する。
まず間違いない選択も
成り行きの中で決まっていただけのことで、
その後からついて来る結果には、
あまり納得できなくて、
その時点になって、
どうしたらいいかを考えている。
そんな時、
ちょうどいい考え方に出会って、
試してみるもののなかなかそのように考えられない。
とりあえず理想に近づけるように、
そこで言われていることを一生懸命やってみる。
これは、
自信を持てない考え方について、
大まかに記したものです。
こう記されたものを見る限りでは、
どこまで行っても自信が持てないのは、
当然だと分かるのですが、
でも、
実際の生活の中で自信が無いとしたら、
おおよそこのサイクルの中にいることに気付かなければ、
抜け出すことはできません。
上に記した言葉と全く違う感じ方の人も、
自信があったり無かったりする人も、
自信が無い状態とは、
基本的に考え方のサイクルに
はまり込んでしまっている状態なのです。
僕自身が以前、
自信を持つということを、
考え方のように捉えていたことから脱して、
あくまでも実践するだけの行為として
意識するようになって、
自信とは何なのかを理解できたことを、
お話しようと思います。
冒頭に記した、
今自分が置かれている状況の中、
このことを、
どうやったらできるかを考えてしまうと、
自信を持つことはできません。
実はものごとを的確にこなしていくのに
自信があるとか無いとかは関係ありません。
どういう状況にあったとしても、
その状態から淡々と進めば良いだけ、と
行動に移している状態が
自信があるように見えるだけです。
右に行くのが良いのか、
左に行くのが良いのか、
自信の無い状態では、
とにかく考えます。
目的に向かって行くより、
どちらから行けば良いのか、
何も考えないのが怖いのです。
そこには目的に向かうことよりも別の、
思考が働いてしまっています。
危険か安全か、
苦か楽か、
損か得か、
それ以外にも
格好良くいきたいとか、
忘れ難い苦い思いがあるとか、
いずれにしても頭の中にあることで、
現実とは違うことを考えてしまっているのです。
実際には、
右へ行っても左へ行っても、
大した差はありません。
右へ行っても左へ行っても、
自分の学ぶべきことが順に訪れます。
必要なことは、
未熟であったとしても、
真剣に一歩を踏み出すことです。
真剣に一歩づつ感触を確かめつつ進むことで
危険から遠ざかることにもなり、
次の一歩を決める判断材料になります。
何となく踏み出した感じからでは、
次の判断材料にはなりませんし、
学ぶべきこともぼんやりとしてしまいます。
一歩踏み出さずに
失敗するイメージを想定して、
そうならないようにいろいろ考えても、
踏み出さない限り
失敗にもならないし、
目的に近づくこともありません。
失敗したと、
本気で感じることができるのは、
真剣に一歩を踏み出した人だけです。
やっとその段階にきて、
学びとして自分の中に残るものがあります。
学びとして経験できるようになれば、
失敗も失敗ではありません。
そこから目的へ向かうために
良い判断材料としての状況変化があっただけです。
多くの人は、
お互いに助け合いながら
目的を達成することが重要な環境にいます。
それぞれの足りない部分を補い合うことで
一歩づつ目的に近づいていきます。
その中で、
目的以外のことに気を取られていると、
行動が的外れなことをしてしまうため、
さらに自信のない状態へと向かってしまいます。
そこでは社会性が必要で
コミュニケーションをとらなくてはならなくて、
などなどいろいろと考えてしまいますが、
そのようなものは全て二の次です。
例えば仕事の場では、
仕事を順序良く片付けていくことを最優先にするべきで、
それが後回しになってまでコミュニケーションなどが問題になるならば、
そこで仕事が始まるのはいつになるのか分かりません。
遊びの場であれば、
ルールにのっとって楽しむことが最優先になりますが、
それを後回しにして人として考えなければならないことがあるならば、
全ての休日はもう台無しになってしまうでしょう。
それこそ仕事も遊びもそういった枠を取っ払って、
真剣に生きるというスタンスで見てしまえば、
それを後回しにしてまで気にするものは、
よっぽどその気になることが好きなのではないでしょうか。
そのことに自信を持って好きだと言えないとしたら、
それは今その場面では関係の無いことだと、
自分でも分かるはずです。
そういったものを自分のこだわりだとか、
必要なものだとかの思い込みが
真剣な一歩を踏み出す自分を妨げる
言い訳になってしまいます。
今できることを全て後回しにして
言い訳してしまうより前に、
ただ行動すれば
全てが変わってきます。
自信みたいなものがあるかないかも
そんなに気になりません。
本当の学びはそれから始まるので、
前もってやっておかなくてはならないことなどありません。
それまでに何となくやっていただけのこととかも、
ちゃんと役に立つ経験であったということにも
それから気づくことになるでしょう。
自信を持って生きる生き方を
探すのではなくて、
今できること、
今やりたいことを、
どんどんシンプルにやっていくことが
自分を信じるという言葉の意味を
分からせてくれるのです。
自信を持つことができるのは、
誰か他の人ではなく、
自分だけだということは、
自分で決めて
自分で行動して
自分で感じなければ
自信にはならないということだったんです。
そんなに上手くいくわけが無い!と考えて、
自分にちょうどいい感じを探して辺りを見てみると、
何となくそれなりにやっている人達がいて、
それなりにいい感じなので、
良くは分からないけど、
そんな感じでやってみたら、
たまに嬉しいことがある。
良く分かっていないことがあるので、
なるべく大きな決断は避けていて、
それでも決めなければならない時は
多くの人がしていることを参考に
他の人の意見も聞きながら
まず間違いないだろうということを選択する。
まず間違いない選択も
成り行きの中で決まっていただけのことで、
その後からついて来る結果には、
あまり納得できなくて、
その時点になって、
どうしたらいいかを考えている。
そんな時、
ちょうどいい考え方に出会って、
試してみるもののなかなかそのように考えられない。
とりあえず理想に近づけるように、
そこで言われていることを一生懸命やってみる。
これは、
自信を持てない考え方について、
大まかに記したものです。
こう記されたものを見る限りでは、
どこまで行っても自信が持てないのは、
当然だと分かるのですが、
でも、
実際の生活の中で自信が無いとしたら、
おおよそこのサイクルの中にいることに気付かなければ、
抜け出すことはできません。
上に記した言葉と全く違う感じ方の人も、
自信があったり無かったりする人も、
自信が無い状態とは、
基本的に考え方のサイクルに
はまり込んでしまっている状態なのです。
僕自身が以前、
自信を持つということを、
考え方のように捉えていたことから脱して、
あくまでも実践するだけの行為として
意識するようになって、
自信とは何なのかを理解できたことを、
お話しようと思います。
冒頭に記した、
今自分が置かれている状況の中、
的確に決断して行動すること、
このことを、
どうやったらできるかを考えてしまうと、
自信を持つことはできません。
実はものごとを的確にこなしていくのに
自信があるとか無いとかは関係ありません。
どういう状況にあったとしても、
その状態から淡々と進めば良いだけ、と
行動に移している状態が
自信があるように見えるだけです。
右に行くのが良いのか、
左に行くのが良いのか、
自信の無い状態では、
とにかく考えます。
目的に向かって行くより、
どちらから行けば良いのか、
何も考えないのが怖いのです。
そこには目的に向かうことよりも別の、
思考が働いてしまっています。
危険か安全か、
苦か楽か、
損か得か、
格好良くいきたいとか、
忘れ難い苦い思いがあるとか、
いずれにしても頭の中にあることで、
現実とは違うことを考えてしまっているのです。
実際には、
右へ行っても左へ行っても、
大した差はありません。
右へ行っても左へ行っても、
自分の学ぶべきことが順に訪れます。
必要なことは、
未熟であったとしても、
真剣に一歩を踏み出すことです。
真剣に一歩づつ感触を確かめつつ進むことで
危険から遠ざかることにもなり、
次の一歩を決める判断材料になります。
何となく踏み出した感じからでは、
次の判断材料にはなりませんし、
学ぶべきこともぼんやりとしてしまいます。
一歩踏み出さずに
失敗するイメージを想定して、
そうならないようにいろいろ考えても、
踏み出さない限り
失敗にもならないし、
目的に近づくこともありません。
失敗したと、
本気で感じることができるのは、
真剣に一歩を踏み出した人だけです。
やっとその段階にきて、
学びとして自分の中に残るものがあります。
学びとして経験できるようになれば、
失敗も失敗ではありません。
そこから目的へ向かうために
良い判断材料としての状況変化があっただけです。
多くの人は、
お互いに助け合いながら
目的を達成することが重要な環境にいます。
それぞれの足りない部分を補い合うことで
一歩づつ目的に近づいていきます。
その中で、
目的以外のことに気を取られていると、
行動が的外れなことをしてしまうため、
さらに自信のない状態へと向かってしまいます。
そこでは社会性が必要で
コミュニケーションをとらなくてはならなくて、
などなどいろいろと考えてしまいますが、
そのようなものは全て二の次です。
例えば仕事の場では、
仕事を順序良く片付けていくことを最優先にするべきで、
それが後回しになってまでコミュニケーションなどが問題になるならば、
そこで仕事が始まるのはいつになるのか分かりません。
遊びの場であれば、
ルールにのっとって楽しむことが最優先になりますが、
それを後回しにして人として考えなければならないことがあるならば、
全ての休日はもう台無しになってしまうでしょう。
それこそ仕事も遊びもそういった枠を取っ払って、
真剣に生きるというスタンスで見てしまえば、
それを後回しにしてまで気にするものは、
よっぽどその気になることが好きなのではないでしょうか。
そのことに自信を持って好きだと言えないとしたら、
それは今その場面では関係の無いことだと、
自分でも分かるはずです。
そういったものを自分のこだわりだとか、
必要なものだとかの思い込みが
真剣な一歩を踏み出す自分を妨げる
言い訳になってしまいます。
今できることを全て後回しにして
言い訳してしまうより前に、
ただ行動すれば
全てが変わってきます。
自信みたいなものがあるかないかも
そんなに気になりません。
本当の学びはそれから始まるので、
前もってやっておかなくてはならないことなどありません。
それまでに何となくやっていただけのこととかも、
ちゃんと役に立つ経験であったということにも
それから気づくことになるでしょう。
自信を持って生きる生き方を
探すのではなくて、
今できること、
今やりたいことを、
どんどんシンプルにやっていくことが
自分を信じるという言葉の意味を
分からせてくれるのです。
自信を持つことができるのは、
誰か他の人ではなく、
自分だけだということは、
自分で決めて
自分で行動して
自分で感じなければ
自信にはならないということだったんです。
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