2015年12月10日木曜日

がんばる時代の終わり

僕が、

この日本という国の豊かさに

本当の意味で気づいたのは、

ごく最近のことです。


僕が子供の頃は、

海外の国を手本として、

便利で豊かな国にするために

みんなで一生懸命働いてお金をたくさん持つことが

とても良いこととされていた時代だったと思います。


何となくおかしな部分もあるけれど、

それで幸せになって行けるのだから、

がんばろう!みたいな雰囲気がありました。


大人になるにつれて、

僕の中で、

何となくおかしな部分から、

目を背けることができなくなってきます。


便利で豊かになるはずが、

環境問題は次から次へ出てくるし、

争いごとは必ず何処かで起こってるし、

病気になる人の数は減らないし、


追い求めていた豊かさは

いったいいつになったら

この地上で具現化されていくのかという疑問を

見過ごせなくなったのです。


でも多くの人達が、

豊かさを追い求めてがんばることを

とても良いことと信じていました。


そしてあまりにも当然のように

みんなで豊かな幸せを未来に思い描いていて、


その豊かさのイメージから外れるものは、

良くないことのように扱われていたので、


立ち止まって、

今求めているものごとが、

本当に豊かさをもたらすのかどうか

見つめることはありませんでした。


広い庭付きの家、

大きくて速い車、

仕立てのいい有名なブランドの服、

大きな冷蔵庫には

新鮮なお肉や魚介類、

大きなテレビで迫力の音響、


それらが豊かな人生に必要なものであって、

まだ手にしていないうちは、

豊かではないと考えてしまっていることに

気がついたのでした。


そして、今、、、、


我が家には、

ものがほとんどありません。


断捨離と呼ぶような行為も、

だいぶん前にして、

スッキリとした空間の中で、

テレビもステレオも無くて、

とても静かな時間を

穏やかに過ごしています。


食事は毎食、

お坊さんでもびっくりするだろうほどの、

シンプルな玄米菜食をしていて、

なるべく旬のもので、

無農薬、自然農法のものを選んでいます。


お蔭さまで、

記憶にある年数のうち、

僕は風邪をひいていません。


そんな僕の健康な身体と心を

育んでくれる食材達を

雑な調味料で味付けする訳にもいかず、

塩は対馬の塩、

醤油も木樽仕込みのものを

選ぶようになりました。


そうなると、

料理をするにも、

フライパンを鉄の叩き出しのものにして、

料理用油も圧搾だけで作った

菜種油を使うようになりました。


主食である玄米は、

釉薬に有害性の無い土鍋を使って炊き、

手触りの良い漆の器によそって食べています。


このあたりの食材や道具を選ぶ目利きは、

妻がピシャリと良いものを

捜し当ててくれるので感謝しています。


食べ物から道具に至るまで、

確実に良いものを選んでくれます。


しかもそれほど高額でなく、

本当に良いものでスッキリとした空間を

心地好く演出してくれます。


以前の僕が考えていた豊かさとは、

全く別の豊かさの中にいます。


広い家や速い車といった

象徴的な夢を思い描くこと自体は、

悪いことではないし、

自分自身の向上のため必要な場面もあります。


でも、

それらを手にしようとするために、

心が貧しくなってしまっては、

意味がありませんでした。


すぐ目の前にあるものに全く気付かないほど、

豊かさのイメージを追い求めていたのです。


この国には、

本当の豊かさが溢れていることを、

どれだけの人が気づいているでしょう。


僕はこの国の住人なので、

他の国や地域について、

あまり確かなことは言えませんが、

同じような豊かさが

世界中に溢れていると思います。


ただ、その真の豊かさに気付かずに、

象徴的な豊かさを追い求めて

生きている人達が多くいると思います。


僕は何かを我慢したりとか、

特別な境地に達したりしたのではありません。


自分自身に正直になってみると、

本当に欲しいものって、

そんなに無いことが分かったんです。


欲しいと思って買ったのに使わなかったり、

手にした瞬間から次が欲しくなったり、

本当に欲しいものへのつなぎと思っていたり、

持つことがただの自慢であったりするとき、

それらを本当に欲しいと思って手にしていません。


本当に欲しい必要なものとの出会いは、

心にピンと来るものが

ベストなタイミングで起こって、

ものごとがうまく回って

喜びとともに自分の手もとにやって来ます。


それは

手に触れて心地好く、

見て心地好く、

使って心地好く、

その出会いに深いご縁を感じます。


手にすると嬉しさが湧いて来て、

感謝の気持ちが味わえるものを、

そういうものを吟味して、

選択していくようにすると、

自分の居る空間が

どんどん豊かになって来るのです。


それは道具だけに限らず、

食べ物から自分が口にする言葉も

自分を豊かにしていくこととして、

選択できるということも分かってきました。


豊かさを作り出すのは、

紛れもなく自分自身の選択だったのです。


貧しさを感じてしてしまう

選択を見極めて、

本当に必要でもなければ

欲しくもないものを

手にしないようにするだけで良かったんです。


誰かの意見に流されたり、

誰かに気を使ったりして、

ものごとを選択してしまうと、

豊かさを味わうことはできません。


もしも、

自分に純粋に従っているのに

豊かさを感じないとしたら、

ただの思い込みを

自分の心の声と勘違いしている状態です。


本当に心は自由そのもので、

この世界にある無数の選択肢の中から、

常に心地好い状態で居ることを

選択していきます。


わざわざ心地好くないと感じることを

選択をしているということは、

ナチュラルな心を押さえて

思考や意思が働いているということです。


自分の心に従うより、

思い込みを信じることで成り立っている

この現代人間社会に於いては

なかなか自分の心の声に気がつきません。


自分の心の声に従うことは、

その他大勢の意見と違うかもしれませんが、

それを選択しなければ、

自分に豊かさを感じることはできません。


追い求めた先に

豊かさがあるのでは無くて、

自分の心を自由に解放してあげれば、

豊かさの中にいることを感じるのです。


でも、

あまりにも長い歴史を

豊かさとは何なのかを

求めることに費やして来たために、

求めようとする行為をやめることに

不安を感じてしまうこともあります。


今豊かさを味わえていなくても、

求めることで安心できてしまうからです。


ただ求めることをやめるだけで

この世界の豊かさを味わえるなんて、

嘘だと思うかもしれません。


身体に染み付いた癖を

ただやめるというのが本当に難しくて、

やめる以外のことを探してしまうかもしれません。


そしてあまりにも多くのことを

誤解したまま思い込んでいたために、

それを一つづつ解放していくことが、

途方も無いことのように感じてしまうかもしれません。


でも、

すでに豊かさの中に居ます。


それに気付かないほど、

がむしゃらにがんばっている自分の

肩の力を抜くだけです。


がんばらなくては生きて来られなかった時代は、

もう終わります。


この星に生まれて

豊かさと共に生きることを選択すると、

始めのうちは、

自分で気付かずにしていた

わがままや共生できない考え方が

不必要になってくるので、

自分の嫌な部分としてどんどん出てきます。


でも、

どんどん手放していけば、

この星の豊かさと共に生きる楽さを

実感していくようになります。


がんばってしまっていた自分の

力の抜けていく感覚は、

ただただ気持ちいい限りです。


この楽な感じです。


これが僕の求めていたものだったんです。


豊かさは、

所有しているものを手放していけば、

限りなく共有できるのです。



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