2015年12月20日日曜日

人を責めないこと、自分を責めないこと

罪を憎んで人を憎まずという言葉があります。


生きていく上でいろんなテーマがありますが

僕はこのことがちゃんとできれば、

世の争いごとは無くなっていくはず!と、

ずっと一番に思っていたところがあります。


でも、

嫌なことをされて、

それをまったく気にしないようにするなんて、

それはさすがに変だ!


間違いはやっぱり正さなくては!!!

また同じことが無いようにしなくては!!!


と、人を責めてしまう気持ちが湧いてきます。



「あの人があんなことをするからだ!」

「いや、自分も間違うことがあるし、、、」

「いや、でも今のは完全におかしい!」

「でも、分からなかったんだからしょうがないよなぁ、、、」

「いや、分からないからってやっていいことと悪いことがある!」


などと答えの無い問答をして、

何とかその場を収める目的でいるようで

本当の自分に蓋をしたまま

実はものすごい怒りを振り撒いてしまうのでした。


そうなるのが嫌だと思いながらも人を責めてしまうことの

原因となっていたものとそれを解放できたことについて

記させてもらいたいと思います。


僕が素直になることだけを

念頭に置いて過ごすようになると、

自分が自分の行動に違和感を感じることを

どんどんごまかさなくなって行きました。


小さなことでも誰かを責めてしまうことを

嫌だとハッキリ意識できるようになっていきました。


僕はもともと怒りを表現することに

苦手意識がありました。


人に優しくありたいと思っていたこともあって、

とても温厚でめったなことがなければ怒らない

自信のようなものもありました。


辛抱強く、

相手に合わせて言葉を選びながら空気感を大切にして

全体として上手くものごとが回っていくように

心を配ることを意識していました。


偉そうになるのも嫌だったので

上から目線ではなく、

常にどんな相手でも面と向かって、

一対一で対等に話すことを心がけていました。


このように見ていくと、

別にそのまま行けばいいんじゃない?

ぐらいに感じるかも知れません。


もちろん人との調和を保とうと意識することは

人として成長するためにとても重要な要素となります。


でも、僕が上に記したように思っていた要因は、

過去に閉ざしてしまった経験を申し訳なく思っている自分が自分に対して

良い人でいようと一生懸命していることだったのです。


それに気がつくことができたのは、

喧嘩になったしまったときに言ってくれた

妻の一言からでした。


「あなたは自分に対して怒っているのが分かる?」


そう言われたとき、

すでに怒りの向けようがどこにもなく、

観念したような気持ちになりました。


それから徐々に

子供のころのことを思い出し始めます。


僕の育った家庭はとても厳格で、

父親の言うことは絶対でした。


昭和の時代にはよくある話です。


でも僕の場合

小学校に入る頃には、

すでに僕は心を閉ざしていました。


どのような怒り方をされても、

誰も止めることはありませんでした。


そんな中にあっても、

僕は良い子を演じていました。


家族を好きになりたいと思っていたのです。


ある日父の勘違いが原因で、

人のいる前で殴られました。


それは勘違いだと言うと、

父の怒りは止まらなくなりました。


誰も止めることはありませんでした。


そのとき僕はもう誰にも本当のことを言わない、

そう誓ってしまったのでした。


年月を重ねてそんな記憶も薄れていき、

自分の体が大きくなるにつれて、

社会も広がり、経験を積んでいく中にあって、


僕は僕の家庭で養われた生きる術を持って

閉ざしてしまった部分のある心を抱えたまま、

幸せになろうとしていたのでした。


怒りの矛先がどこにも向けられなくなったとき、

この自分だったからこそいろいろ学べてきたことと、

閉ざしたままではこれ以上進めないことがすぐに分かりました。


閉ざしてしまった自分が

子供のままその記憶の中にいて

ずっと言えない思いを抱えたまま

癒えない時間が止まってしまっていました。


その止まったままの自分は

ずっと僕を、僕に関わる人を

見ていました。


嘘をついていないか、

ごまかしていないか。


それに呼応してしまう現実を呼び起こしては、

一番奥に閉ざされたままの自分が怒りを表していたのです。


僕は本当に心の底から

閉ざしてしまったことを

子供のままの自分に謝りました。


そして、

現実にその矛先を向けてしまった妻にも謝りました。


この宇宙に向けても、

怒りのエネルギーを放出していたことを謝りました。


そうすると、

本当に心がどんどん軽くなります。


家族から受けた影響の良い面も悪い面も働いて

自分の弱さを克服することができました。


辛くてたまらなかったのも

もう終わります。


多くの方に自分の弱さから

ご迷惑をおかけしたことを謝りたいと思います。


ごめんなさい。


でも、もう大丈夫です。


誰かが悪いのではないことが、

僕にはハッキリ分かったからです。


僕の場合は

家族というキーワードをたよりに、

自分の閉ざされた部分を開くことが出来ました。


多くの人に同じようなものを感じるのです。


このブログが誰かのお役に立てれば幸いです。




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