2015年7月27日月曜日

言葉が指し示すものとその力について

日々の生活の中で

言葉に触れないで過ごすことはありません。


そのあまりにも当然にある言葉とは

一体何なのでしょうか。


空気や水などとは別で、

人が使うものとして存在していて、

時間や空間によって変わっていったりします。


そうかと思えば、

常にどこかにあって、

ものすごい影響力を持っていて、

普遍的な何かに触れることができるもの、

それが言葉です。


この文章も言葉によって

綴られていて、

伝えていくことによって

さらに深まっていく何かについて

僕ではない他の誰かが

感じ取ることのできる

目には見えない心の流れを

描くことに力を注いでいます。


音声であったり

文字であったりする言葉は

おそらく僕らが理解できる以上の

年月を経ていて、

僕らが辞書で引く意味よりも

その言葉が指し示している何かに

意識を向けることで

本来の力を発揮します。


それは例えば

言語の違う国の人と

お互いを理解しあえたりするのは

言葉の先にある何か別のものを

お互いが指し示しあうことでできることです。


もちろんそこには

言葉以外のジェスチャーなども含まれてきますが、

言葉で指し示そうとすることが

大きな要素であるのは間違いありません。


「ありがとう」という言葉も今の時代では

案外いろんなところで使える言葉になっています。


例えばその言葉を使うときに

かたちだけ口にしても

それなりに伝わりますが、


内側から湧いてくる気持ちを

言葉にしてそうなった

「ありがとう」は

意味とかそういったレベルを超えたものが

相手に伝わります。


言葉をそのように扱うとき、

その言葉が指し示すものは、

生きたエネルギーそのものになります。


生きたエネルギーであれば、

人によって表現が変わるのも当然で、

場合によっては真逆の言葉で示されたりします。


表面的な意味にとらわれずに

その奥に感じるものに意識を向けることで

腑に落ちる言葉として作用するからです。


古くから残る言葉が

力強く感じられるのは

言葉が伝えていることが

意味よりももっと

感覚的なものを描いているからです。


以前は分からなかった言葉が

その指し示しているエネルギーを

自分の中に感じ取ることができると

スッと腑に落ちるように入ってきます。


全ての人が

全ての感受性を持っています。


素直になればなるほど、

感受性は豊かに働いてくれます。


自分というフィルターを

どれだけ通さずに

言葉に接しているでしょうか。


僕もまだまだ

これからです。


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