全ての命は、
生きたエネルギーが
形をまとって現れて、
変化しては消えて、
さらに大きなエネルギーの波に
溶け込んでいきます。
それぞれのエネルギーは
お互いに影響しあって、
必要な状態を作り出しながら
大きな流れを作っています。
見かけの上では
得るものと得られるものに
分かれているように見えますが、
それぞれのエネルギーに必要な経験をするために
必要な形と必然のタイミングでの
役割を果たしあいます。
それぞれのエネルギーが作用しあって、
プラスとマイナス、
上昇と下降
左まわりと右まわり、
膨張と収縮、
そういった新しいエネルギーの波を起こして
経験を引き寄せています。
経験による意味を考えてしまいがちですが
一つの経験がもたらすエネルギーの波は
全方向に波打って影響していくことから見ると
後から考える意味に執着するより
経験そのものの尊さを味わうことで
自分の内側に見えてくるものの深さが変わってきます。
言葉にすると同じ経験であったとしても、
その経験は常に新しくて
今まで誰もしたことのないものなのですが、
確実に言えることは、
自分というものが
この世界を構成している
かけがえのない存在だということを
最もシンプルな形で気付いていけるように、
経験しているということです。
その経験から愛にふれれば、
愛に満ちたエネルギーの波が起こって、
歓びが溢れ
さらに深い愛のエネルギーにふれる経験をしていく
流れに乗ります。
逆に、
その経験の捉え方を
愛から分離していくように感じてしまうと、
流れが滞る重たいエネルギーになっていきます。
循環するエネルギーの中では
なかなか流れていかない状態になっていくと
自分の経験を認識する力だけでは
なかなか新しい気付きを
得にくくなってしまいます。
凝り固まるという状態です。
僕はこの状態を
「死」と捉えるようになりました。
それとは違って、
肉体的な生と死は
一つのセットになっていて、
愛を深く知っていくうえで
必要な経験としてみんなに起こります。
でも、花が咲いたら
必ず散ります。
散るがゆえに、
美しさが永遠になります。
形あるものが
消えていくのは寂しいですが、
だからこそ尊いのがわかります。
その奥に見えない美しさがあるのです。
その美しさは、
ずっと流れていて
僕らのまわりの世界を形作っています。
循環するエネルギーです。
「死」はそれらの中には
存在しません。
「死」は
その世界から分離させてしまう
人の思考の中に存在しているのです。
何かに執着してしまって、
流れなくなってしまったエネルギーには
肉体や時間や空間などは
意味をなしません。
そのように現れて、
そのように経験していきます。
でも、
一番大きな愛からみれば、
それも一つの大きな波です。
その経験から
生きたエネルギーの波に乗れるかどうかは、
自分の心次第です。
どんな状況であっても、
素直になることで
凝り固まった自分を
手放すことができれば、
エネルギーは流れ始めます。
少しづつでも、
手放していければ
必ず軽くなっていきます。
ゆっくりでもいいと思います。
愛はずっとずっと
僕らのまわりで
そのままであり続けています。
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