実際に起きている凄まじい現実の中にあって
楽しむということが自分をいかに
本当の自分へ導いてくれているかをご紹介できるように
いろいろと検証していた次第です。
この頃感じていたのは
大人になっていくにしたがって
楽しむということから
遠ざかってしまう人達の多さです。
楽しむために先ずするべきことが
とても多くあると思っているので
それがふとした瞬間の言動に現れてきます。
時間やお金、
道具や雰囲気や仲間も
そろっていなくては楽しめないように
なってしまっているようです。
やらなくてはならないことに追われて
思うように楽しむことを満喫できないことさえ
大人であるがゆえの辛さのように
感じている人もいらっしゃるかもしれません。
楽しむこととは、
そんなにも難しいことなのでしょうか?
難しくなってしまう理由について
考えてみましょう。
まず、楽しいと感じる感覚を
思考で捉えてしまうようになっていることはないでしょうか。
どうしたら楽しめるか、
という考えが浮かんでくる場合、
感覚を思考で捉えようとしています。
感覚は内から湧いてくるものです。
思考よりももっとシンプルなものなので、
複雑に考えても分かりません。
今、楽しいと感じていない理由を
すぐ見つけられるでしょうか?
ここで一つ注意しておくべきことがあります。
感覚とは、
全くもって自分の内側にあるものなので、
自分が何をどう感じるかということは、
完全に私事です。
それを、この瞬間を楽しいと感じていない原因を
自分ではない、他のせいにしてしまっているところがあれば
それをやめてみましょう。
感じる物事を他のせいにしなくてすむのは、
それだけでも気持ちがとても楽になります。
自分のままにしていることを、
何か他のせいにできることなどないのです。
その上で、
何かが足りないと感じているとしたら、
そこは間違いだと気付いてください。
楽しむということは、
今ここにあることをいかに楽しむかという
現在形の行為の中でしか感じられません。
ないものを手に入れたその先に
楽しいと感じるのではありません。
今ここにないということなので、
ない状況を楽しむ以外ないのです。
ないと感じるもの自体が、
そもそも楽しむことと何の関係もないのです。
なくてもいいものを求めていると
楽しむというシンプルなことを
見失ってしまいます。
見失ったまま、
ただの興奮状態を生む刺激を
楽しむことと勘違いしてしまいます。
そこからは
もっともっと、となっていくだけです。
それでは最終的に飽きてしまうか、
破滅的な道をたどってしまうでしょう。
そのような興奮状態と
楽しむ感覚の違いまで理解しているのであれば、
その空間に完全に自分をゆだねてみて下さい。
ゆだねきれない小さな自分を
見つけてあげられるでしょうか。
その小さな自分のままで
周りを見回してみましょう。
恐れることはありません。
この世界はそんなに大差はなくて、
不完全なものがそのまま存在できる
完全性を持っています。
不思議です。
あり得ないと思われるようなものもあるし、
当たり前にあると思っているものは
何一つ同じもののない唯一無二の存在だったりします。
分かっていたように思っていた
目の前で本当に起こっているものごとを
僕らは何一つ完全に理解できていないのです。
楽しむことができなくなるのは、
この分からないでいる自分を恐れてしまうことから始まっています。
分からないまま
次の瞬間を迎え入れてみましょう。
思うようになることはありませんが、
なるようになるままにゆだねてみてください。
自分が思う以上になっていきます。
そこが楽しいのです。
どういう形であれ迎え入れる準備が整うと、
楽しむことが基準になってきます。
一度も経験したことのない新しい瞬間に出会うのです。
それもただ思い出すだけのようにやってきます。
本当に不思議な世界に
そのままゆだねるということが
一番楽しむコツだったのです。
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