2015年9月6日日曜日

知りたい気持ちが導いてくるもの

これまで僕は

さまざまなことに疑問を抱いては、

その答えを探していろいろと経験してきました。


僕の思考は少し厄介で

納得できないことを

受け入れてくれませんでした。


納得のいく答えが見つかるまで

取りあえず置いておいた疑問で

頭の中は破裂しそうになっていました。


調べれば調べるほど、

いろんな答えに巡り合います。


そこからさらに疑問が増えて

にっちもさっちもいかなくなってくると、

結局そこにある言葉遣いの好き嫌いで

気に入った言葉を選んで

分かったような気になってしまっていたことが

ほんとに多くありました。


そのような、

分かった気になっていることは

自分の本当の知恵にはならないので、

生きていくための強さには

なってくれません。


そのような知識をどれだけ詰め込んだとしても

今、僕がここで幸せを感じるための

手助けにはならないのでした。


逆に自分の経験を通して感じた

内側から湧いてきた感覚は

力強く自分の自信になっているのです。


最近僕はこの内側で感じる感覚を

分かる、ということとして捉えるようになりました。


この内側から来る

分かる、という感覚は

すでに分かっていた自分を

思い出すような感覚で訪れます。


この感覚をもって日々の生活を送るようになると

新しく知りたいと思うことは格段に減りました。


自分が出会うこと一つ一つが

自分にとって何なのかその場で分かるのです。


そしてその場で分からないことが

今自分に必要のないことなのが分かるので

それ以上求めなくて済むのです。


例えば誰かが

どんなに素敵な言葉で語りかけてくれたとしても

それがまだ自分の経験でないうちは分からないのですが、


しかし、それが分かる時には

新しい知識が外からやって来たのではなく

すでに知っていることと照合できたときなのです。


自分の外側にあるものを見ている状態では

それを知りたいという気持ちは収まりませんが、


内側に湧いてきた気持ちは

一度の経験でずっと唯一無二の宝物となっています。


これは何を表しているのでしょうか?


知識として表されるものより

もっと深淵なものを僕らはすでに持っているのです。


知識でそれを表すことはできません。


僕らが超越して存在することができないために

与えられた内なる感覚としてしかありえないのです。


でも、

確実に一人一人に

内なる感覚としてあるのです。


しかもそれが感覚として機能するのは

今という瞬間の中だけです。


過去の記憶の中ではありません。


未来の仮説の中でもありません。


経験している感覚に

注意を向けて見て下さい。


一か月でどれほど分かることがあるでしょうか。


一週間で

一日でどれほど

自分がここで生きていることを

感じられるでしょうか。


過去や未来は

生きて感じる幸せとは関係ありません。


ここから離れて行こうとする意識を

今ここにいることに落ち着けてみましょう。


ちょっとしたことなどは

一旦置いて

ゆっくり深呼吸してみてください。


分かるでしょうか。


これが幸せということです。

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