もう何も心配することはない 。。。。。
ほんとに、そんな事ってあるのかなぁ。
漠然とした不安が頭のどこかにずっとあって、
楽しい時間はあっという間に過ぎて、
もっと幸せな生活を送るには、どうしたらいいのか、
すごく意識しているわけでは無いけど、ずっとそんな思いがある。
そんなことでは、何をしていても、心から幸せを感じるなんて無理。
いろんな人たちが言っているメッセージは、なんだかどれも遠くで鳴ってるだけで、
一度響いたとしても、また離れて行ってしまう。
何で手元に残らないんだろう?
実感できる何かが欲しい!
これはもう全てを超越するしかない!って思ったんです。
で、調べてみると、
意外と多くの人が、悟っちゃってるんですね。
悟っちゃってるっていう表現自体がおかしいのは、置いといて、
みなさんそれぞれの表現で、個別に存在する私はいないということを
説明しているんです。
空です。
で、みなさん現代の方なので、現代社会にマッチした表現をしてらっしゃるんです。
そんな中で、アメリカのジョーイ ロットという方の言い回しや、
ジョーン トリフソンという方の話しに、興味が惹かれました。
どちらの方も、ヒロさんという翻訳家の方の記事で知ったのですが、
今あることをあるがまま受け入れること、それだけでいいと言うのです。
こちらにしてみれば、それが出来なくて困っているのに、
これ以上どうすればいいんだ?!
そう思いながらも、どこかで理解している自分がいます。
ちょっとだけブッダ好きな僕は、彼らの言っていることが、
般若心経と同じなのが分かります。
ただ、ポイントがあって、
なんとなくいい感じで過ごせてる時は、受け入れることは容易いけど、
居心地の悪い時も、同じようにリラックスして受け入れる事ができるかどうか、
その時に、自分の体の反応や、感情の流れを意識できるか、
それこそ今を経験することに他ならないということなんですね。
よし!やってみよう!
ということでやってみると、どれだけ自分がこっちは良くて、あっちはダメとか、
これは好きだけど、あれは嫌いとか、めちゃくちゃ判断している事に気づきます。
生理的に合わないとか、こじつけてるものが結構あるんです。
最初のうちは、
そうやって選り好みしながら記憶していくことで
結局自分が、幸せと幸せでないものを作り出して、
目の前で展開する今を見ずに、
思い込みの世界で過ごしている事に気づき始めます。
へぇ~っ! 全然現実を見れてないじゃないですか!
って思ってる内に、そうやりながら生きてきたその時々を
その意識していないと思っていた風景や
空間の広さや温かささえも
実はちゃんと意識してしていた自分が居たことを思い出しました。
頭で考えていた事とは別に、ただじっと物事が移り変わっていくのを
見ていただけ、聞いていただけ、感じていただけの自分が居たんです。
それを思い出すと、その自分のいた場所は、今ここに繋がっていて、
その時々の何ものにも左右されることのなかった全てを受け入れ続けていた
意識そのものの中だったのが分かったんです。
時間もなくて、ただ温かくて、ずっと生きていた。
もう、何も心配することはないんだ。
ほんとにあったんだ。
これだけでいいんだ。
何もいらないんだ。
これは全部と完全に一つだからこそ、超越するなんてことは有り得ない。
何とも関係ない。
子供だろうと、
大人だろうと、
分かろうと、分かるまいと、
ずっとある。
だから、安心できるんだ。
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