確かに変化は起こりました。
悩まなくなってるし、不安もないので、物事に柔軟に対応する事が出来ています。
でも、以前と変わらない生活で、
なんだか苦手な事象はまだ起こるし、
イラっとすることもあるんです。
ただ、その時にそれだけで終わるようになりました。
何とかして苦手な事象を味わうことのないよう
頭の中で準備をしたり、
意味があることとして認識しようとすることに興味がなくなりました。
今起こって、変化して、無くなっていく一連の自然な流れを感じていると、
すごく安心したまま、「あぁ~、イラっとしたりもするよなぁ~」で終わるようになったんです。
以前は、イラっとしないように頑張って違うことを考えてみたり、
何でそうなったのか、そうならないようにする努力が足りなかった場面はいつだったか、
そうなってしまった事から学べる事は何なのか、
延々と頭の中で、ストーリーが組み立てられて、
次からはこんなことのないように!って、祈ったりもしてました。
そんな風にしてずっと生きていると、次から次へ、事象が繋がっていきます。
またその繋がりにも意味を持たせて、
こんなことやあんなことを学べている道と考えるようになってしまっていました。
これが続けば、物凄い意味のある人生になるはずです。
ん?何かおかしい?
確かにシンクロするかのように見える事象は、起こります。
でも、今この広い世界でいっぺんに物凄い数の事象が起こっていて、
自分の意識が向いてるところだけの事象を取り上げて、
そういう事象に、考えてわかる程度の意味を与える事に、意味が無いと気づいたんです。
3月19日の朝、仕事に向かう途中、いつもの如く頭の中で考え続ける僕に、
「ずっと今まで僕の頭の中で、いったい誰と誰が会話をしてるんだ?」
という疑問が湧いてきました。
ちょっとだけでいいから黙ってみようと深呼吸をしてみると、
道ゆく車の音とか、通学する子供たちの声とか、雀の鳴き声とか、飛行機の音とか、
いろんな音がいっぺんに鳴っていた事に気づきました。
今まで全然聞いてなかったけど、ずっと鳴ってたんです。
そう言えば、何をしてようが関係なくずっと現実ってここにあるよなぁ~。
なんだか僕が色々と考え続けていた事が、
バカバカしく感じた まさにその時です。
曲がり角にある一軒家の駐車場から出てきたおじいさんが、
「ふぅ~、重かったねぇ~。」って、
凄いシンクロのようですが、ただのおじいさんの独り言です。
その時、物心ついた時からずっと作り上げてきた、
あんな風になりたい僕や、
こんな風になってしまった僕、
そんな風にだけはなりたくない僕について、
それ以来考えなくなりました。
それから徐々に軽くなっていくんですが、
現実って面白いですよね。
0 件のコメント:
コメントを投稿