2018年11月24日土曜日

伊勢神宮について

今回神宮へ正式参拝をさせて頂いて、

ずっと疑問に感じていた事で、

やっと腑に落ちた部分を、

記しておきたいと思います。


今まで何度も訪れたことのある、

この伊勢神宮というところが、

やはり他のお社と違ってとても立派だったり、

来るたびに何故か毎回気持ちがスッキリとすることであったり、

歴史のミステリーの中から少しずつ浮かび上がって来る不思議が

どんどん自分のルーツと深く関わっているのが分かっていくことだったり、

伊勢神宮には「何か」があるのは間違いなかったのですが、

それが何なのか、

自分にとって何なのか、

時間の感覚がぶっ飛んでしまう程の歴史を持つお社に圧倒されて

ずっと理解出来ていませんでした。


実は僕は5年ほど前にホツマツタヱに出会うまで、

日本の神様という存在を身近に感じる事がなかったのです。


自分の心と向き合う上では、

ずっと仏教的な方法を用いていました。


様々な仏教国へ行ったりしましたが、

日本に帰って来ると仏の道を行っていても、

何処かしこに日本の神様の影響を見て取ることが出来ます。


そしてそれらはつねに何処か曖昧で複雑で

何かすっとんきょな話しではぐらかされるような事だらけでした。


でも、敏感な人ならば分かると思うんですが、

神様の居る、

いわゆる聖域に足を踏み入れれば分かる、あの不思議は、

誰が何と言おうと自分の身に本当に現実に起こるのです。


ある時、自分のルーツがそちらの世界、

日本の神様達のところにあるかも知れないと思い調べ始めると、

目に見えない何かが僕を導いているかのように、

僕が本当に望んでいる、

「何か」に近づいて行く人生を歩んで行くように転がり始めました。


思春期の頃からバンドをやっていて、

自由奔放に生きる事しか興味のなかった僕に、

礼儀と作法を教えてくれるように、

ブッダが好きだった僕にはお寺に通う日々が訪れます。


三年程そこで礼儀、もそうですが

目にする事象が全て自分に由来することや、

自分の中に聖なるものを見つけていく作法を教わりました。


それから徐々に自分の求める「何か」とのズレから通わなくなって、

自分で探して見つける道へと進んで行きます。


三輪式鳥居というものを知っていろいろ調べていくと

日本書紀に出て来る大物主の子孫の方から三輪という名が出てくることを知りますが、

それまでどちらかというとちゃらんぽらんに生きてきた自分には、

まぁ沢山いる三輪さんの内の一人であって関係はないだろうと思っていました。


父親が家を飛び出していることから、

自分の父方の親戚関係の方を知らない上に親戚の話をしたことがありません。


で僕自身がまたその家から飛び出しているので、

もう知る由もないはずでしたが、

自分で調べているうちに

曾祖父にあたる方が大神神社を分詞されるほどの方だったことが分かります。


こんなにちゃらんぽらんな自分には辿るべきルーツが重すぎるような気がして、

逆に苦しくなってしまうのでした。


でも本当の事が知りたくてさらに調べていく中で

ホツマツタヱに出会います。


今でも基本的には偽書扱いされているようですが、

あの書に描かれている大物主、その子孫が辿る道のりが

僕の中にあった不安を初めて解きほぐしました。


それまでいわゆる出雲系の神々たちが辿っていた影のかかったような道のりは、

別の目線で見れば全く影などかかっていないどころか、

全ての神々が同じようにこの国のために苦心されていたことに感動したのでした。


それから僕の基準をホツマツタヱに置いて神社を巡るようになると、

それぞれの神社に祀られている方々の御関係が

いつ頃に一緒にその地に於いて活躍されていたのか、

またはその地で御隠れになられたのかが分かるようになっていきました。


それぞれの地に於いて活躍のされ方が違っていたりして、

一緒に祀られている方も、そのお社に漂う雰囲気も全く違っていて、

でもそれに合わせて、

ホツマツタヱの中に出て来る生きいきとしたお姿を感じるようになっていきました。


例えば僕の今の氏神様はアメノホヒ様ですが、

アマテル様の第一子で、オオナムチ様に国譲りの件で出雲に行きますが

オオナムチ様の人柄に惚れ込んで出雲にお住まいになる方です。


地図を見れば出雲と伊勢の真ん中にお社を構えていて、

時を超えてオオナムチ様とアマテル様の中を今でも取り持っておられます。


そしてそこは六甲山への入口にあたり、

幼少期に育てていただいたセオリツ姫様の御隠れになられた場所を

ずっと守り続けている場所でもあります。


これは偶然でしょうか?


魂の繫がりとは、

こう言うことなのだと分かっていらっしゃるからこそ辻褄があうことは、

エネルギーが物質と相互関係にあることが分かる方には当然のことと感じると思います。


そのアメノホヒ様が氏神様として率いて下さる今回の神宮参拝です。


大物主の子孫として恥かしくないように出来るでしょうか。


まず大神神社へご挨拶です。


爺様に会いに行くような感覚です。


今回アマテル様へご挨拶に行かせて頂くこと

大物主様からお話しを通していただいて、

神宮へ伺う準備を整えていただきます。


そうすると今度は春日大社に行きたいという気持ちが湧いて来ます。


呼んでいただいているようです。


春日大社にいらっしゃるアマノコヤネ様は左、

大物主様は右にてアメに仕えていたというご関係で、

アマテル様罷った後アマテル様に代わって人々にアメナルミチを教えられていた方です。


僕から見ると親戚のお兄さんといった感じの少し遠いご縁です。


御無礼の無いようにご挨拶に行きました。


その時には僕自身が人に対して不機嫌になることをやめると心に誓って

ひと月ほど経っていたこともあって呼んでいただいたのを感じていました。


アメナルミチをお教えされていた方がお持ちのエネルギーに触れさせていただけるのに、

ちょっとのことですぐ不機嫌になってしまうようでは、

大切なエネルギーを無駄にしてしまいかねません。


ただお詣りしてしばらくは、

頂いたものが自分の御先祖さまの系統とは別のエネルギーでもあったので、

少し不安定な心の動きを感じました。


その一週間後に伊勢神宮へお参りです。


何時にも増して内宮に向かう道で感じるエネルギーが強く感じます。


身体全体に向けて前からもの凄い風圧をうけているような感じです。


御垣内に入るとそれはいっぺんに止んで、

とても静かになりました。


そこで感じたのは、

歴史に残された意味を超えて、

現実的に生きている人々の営みの中に、


このクニを治めるために自ら選んで魂を結んでこの地上へ降りてこられた方が、

この地でやるべきこと全てをこのクニの民へ教えていかれた形跡として

そこに残されていました。


どういう事かというと、

もしもこの星の全てのインフラが機能しない状態になったとしても、

伊勢神宮に伝わる事柄、祭事をやれば、

多くの人間がこの地で生活していくことが出来る技術を、

何千年も昔のやり方でやり続けている

一番本当の人間の基本の生活方法を、

もの凄く厳かにもの凄く丁寧に実際に何千年もやりつづけているということです。


米、酒、塩、衣服、道具、建物、

衣食住の全てを教えてくれたのです。


それらは完璧に太陽の運行に基づいていて、

宇宙の営みを完全に理解したうえで成された技術です。


そんなことがこのクニを造るころの技術として

そこで展開されていたのです。


さらには毎日欠かすことなく

このクニの人達の安寧をそのエネルギーを残した偉大なる存在に対して

千年以上祈り続ける人たちの歩みがそこにあったことです。


僕の目の鱗が落ちたというよりも、

僕の知りたかった「何か」は

僕の頭で理解できるような小さなものではなかったのでした。


僕はその瞬間から、

全ての礼節と感謝とをこの宇宙の流れにぴったり合わせるということが、

生活するということなんだと思うようになったのでした。


伊勢神宮や皇室に対していろんなことが言われる今の世です。


確かに一般庶民からすると

かなり大げさで莫大な費用の掛かる営みに感じるかもしれません。


でもそこにあるのは実は一番基本の人の営みだったのです。


年間を通して営んでいくことを

ただ続けていくことの大切さを守り続けているのでした。


それを最初に司ってくれた方があの地にお鎮まりになっているんです。


やっぱりこのクニにいるならば、

一年に一度はご挨拶へ伺っていきたいなぁと、

強く思うようになったのでした。





0 件のコメント:

コメントを投稿