この度、伊勢神宮正式参拝をさせていただきました。
日頃お世話になっている氏神様のお社のお計らいで、
総勢40名で外宮と内宮にお参りさせていただきました。
この日取りはだいぶ前から決まっていたので、
その日へ向けて自分の中でいろいろと整えようと、
お菓子を食べないようにしていたりしていました。
もともとVeganなので肉食は普段からしていないこともあって、
整えるといっても、仕事帰りに小腹がすいて芋けんぴを買って食べるのを
我慢するぐらいではあったのですが。。。。。
前のブログでも書いた、不機嫌にならないように自分の心の波を静めることも
正式参拝へ向けて整える一環であったところもあります。
今住んでいる所の氏神様はアメノホヒ様、
アマテル様の第一子の方にお導きいただけるとあって、
御無礼の無いようにしたいと強く思っていました。
僕の御先祖さまにあたる大物主様にも、
行ってまいりますとご挨拶をかねて大神神社へ参拝して、
お山に登らせて頂いたのも約一か月ほど前になります。
その日から徐々にではありますが、
自分の中で処理しきれていなかった思いが心の中に浮かび上がってくるのを、
静かに祓うように日々を過ごしていました。
そして先週、
大物主様が右の臣であるのに対して左の臣であった春日様のお社へ詣でさせて頂きました。
大神神社でも大きなエネルギーを頂いていたところに、
春日大社でも頭が真っ白になるようなエネルギーを頂きました。
その翌日から自分自身を扱いきれない感覚に陥ってしまいます。
普通に過ごす、
ように見せかけることは幾らでもできたのですが、
全てが空しく感じてしまって何にも情熱が湧きません。
でもどこかでこの事象が
エネルギー的にゼロポイントを通過しているところなのだろうと感じていました。
全てをこのまま終えてしまいたい衝動が究極のところでやってきましたが、
僕自身が身を委ねている流れに逆らえるわけもありませんでした。
正式参拝を迎える前々日には、
内側から湧き上ってくる温かい感覚が徐々に緊張感へと変わって来るのが分かりました。
氏神様のお社の崇敬者の方々は、
皆さん何度も正式参拝をされていることもあって、
その方々に続いていくことが何より、アメノホヒ様のお導きなのだと思い、
外宮では周りの方々に続いていくような感覚でお詣りさせていただきました。
トヨケ様は優しく包み込んで下さるような雰囲気で、
そのような自分でも温かく見守って下さっていたように感じます。
外宮では運よく神宮の権禰宜の方が
遷宮のことや、その歴史などについて話してくださいました。
その中で自分が強く感じたのは、
自分で学んで自分の内側に答えを見つけていくことの大切さでした。
もちろん残されている資料などから、
きっちりと確定していることなどもあります。
でもさらにその形が良しとされるに至った理由までは、
誰も教えてくれないのだということが分かりました。
でも、その後に御神楽を奉納させて頂いた時です。
御神楽での舞の一つ一つの動きの中に
音と合わさることで意味が見つけられるようになっている、
その絶妙な隠し方があることに気づきました。
今例えばあの動きが何を意味していてとか、
そういうことを上手に説明することはできません。
あの空間に居て、あの音に包まれて、
しかもその意味を知ろうとする心構えをもって、
心を静かにした状態にあって初めて、
舞が自分の中に意味を見つけさせてくれるメッセージとして機能します。
今回の僕には、
所作や作法といったものが向けられている心の向きを
もっと大きなものへ向けていくことで整うものが多くあることに気づかせて頂きました。
ただ御神楽の最中、
お祓いから祝詞奏上、そして御神楽を合わせて30分程の間、
ずっと正座していたこともあってすぐに動けませんでした。
そして待ちに待った内宮正式参拝です。
その時にはもう頭がくらくらする程のエネルギー状態でしたが、
自分の心の向きをどこへ向ければいいかがハッキリと分かっていたこともあって、
変なところに気が紛らわされることはありませんでした。
御垣内に入ってから自分の行くべき場所はここというように、
さっと身体が動きます。
二礼二拍手一礼を済ませると、
自分の中にあるもの、それをもっと磨いていくことだけが
これからの自分に必要な事と再認識させていたのだと深く感じたのでした。
帰りのバスの中では、
遷宮の度に新たにする御神宝が神宮のお社に1576点もあることを知り、
国宝級の技術が今なお受け継がれている最中だということも知ることが出来ました。
僕自身が何かを受け継いでいるとしたなら、
その中に流れている「人の営み」を大切にする心なのかなぁと感じた次第です。
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