2017年7月20日木曜日

八百万の神様

僕は子供の頃から身の回りにある物に人格のようなものを当てて

それと会話をしながら使うということを普通にしていて、

物によって男性的だったり女性的だったり、

使う前に「お願いしますね!」と一声かけてから使うようにしていました。


特に最近自分の言動一つ一つを丁寧にすることを心がけるようになって、

その行為がとても重要なことだったと改めて感じるようになりました。


当たり前の事ですが

物は大切に扱えばとても長く使えます。


いつかは寿命が来るものだとしても、

扱い方によっては一生自分と共に居てくれるものもあります。


さらに丁寧に語り掛けながら扱うようになると、

それらが持つ精妙な波動がいろんなことを教えてくれるようになります。


例えばいわゆる良いものというのは、

作る段階から丁寧に扱われていて、

素材が宿している波動、

その素材が生まれてくる大地や海から

その素材が教わったことが

その物の中にデータのように込められていて、

丁寧に扱われることで、

そのデータとしてある波動を壊さずに、

物として形を変えて、

僕の元まで届いてくれます。


そしてその物の正しい使い方や

その行為を通してこの地球との共生の仕方などを

学ばせてくれる道具となってくれるのです。


全ての物はこの宇宙の営みから出来てきて、

いろんな出来事を経て、

今この時にこの形として僕の元へやって来ました。


それらが持っている波動を読み取るには、

それに共鳴できる波動を持っていなければなりません。


もし自分が荒々しい波動でそれらに接すれば、

すぐにそれらはそのように共鳴して

荒い波動によって精妙な部分はかき消されて、

雑な荒い波動を持つ物として僕の空間に存在するようになります。


そうなれば長持ちもしないでしょうし、

その様な形でしか僕の手伝いをしなくなってしまいます。


その物がこの地上に生まれてくるときに宿してきた叡智は、

丁寧に扱われていればいるほど、

濃密なそれでいて精妙な波動を持っていて、

その物と居ると

とてつもない安心感を得ることが出来ます。


僕よりも大きくて永い営みを経験している

大きな存在から分かれて来ているので、

その安心感は間違いありません。


その視点で自分の周りにある物を見回してみてください。


何一つこの宇宙の営みから離れたところで出来てきたものはありません。


でもそこに来る過程での

作る人の意識や扱う人の意識の差で、

宿している波動に大きな違いが出てきます。


この宇宙の営みが陰と陽の合わさりによって

出来上がって来ているので、

全ての物に陰と陽の性質が備わっています。


なので丁寧に精妙な氣でもって作られ扱われたものは、

僕らの生活に陽の氣をもたらしてくれます。


逆に雑に荒い氣で作られ扱われたものは、

陰の氣をもたらします。


でもそれらは今僕がどう扱うかによって

どちらにでも変化します。


それはその中に本質的に陰と陽の性質を宿しているからです。


それらを使う『僕』という視点から

もう一度全部見渡してみましょう。


僕の身体も丁寧に使いましょう。


言葉もそうです。


僕の元へやって来る食べ物や、

それを調理する道具、

食べる時に使う器や箸、

それを味わう空間としてある部屋やテーブル、

身体を包み込む服や靴、

レクレーションのためのサーフボードやそのグッズ、

音楽を聴いたり作ったりできるパソコンなんかも、

僕の元へやって来て、

今この生活を色とりどりに鮮やかに華やかに

豊かさを演出してくれています。


僕がそれらを喜んで楽しくそして丁寧に使うことを、

同じく喜んでくれています。


この感覚を知ることが出来るようになるには、

ただ消費していくだけの生活からでは無理です。


自分の生きる道をしっかり歩み始めれば、

必要な物がちゃんと分かります。


自分の元にやって来る物たちが

教えてくれるからです。


丁寧に使って役目を終えたら

その物たちに感謝を持って

丁寧に地球にお返していきます。


またある時、

何か別の形でお会いすることがあるかもしれません。


でも基本的にはすべて一期一会の出会いです。


なおさら大切に丁寧に扱いたいと、

その様に思う訳です。


この様に僕にいろんなことを教えてくれる

大切な物たちに宿っている魂を、

その昔は、

八百万の神と呼んで尊んでいました。


今もずっといらっしゃいます。


そのお声を聴くことが出来る

生き方がある

というお話しでした。





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