夏に入って暑さが一層増しています。
僕は今年の暑さは何だか今まで感じていた夏の暑さ以上のもの、
もっと奥の方から湧き出させられるもっと大きな力があるように感じてなりません。
先月の終わりに夏越の大祓が執り行われて、
上半期の穢れを祓ってもらってから、
僕がこれからどの方向へ向かって生きていくべきなのか、
ということについて今の自分に見えていることを
綴っておきたいと思います。
今年に入るころに僕は大きな決断をしました。
それは自分の内側に誓いを立てることであったので、
あまり表だって言葉にしてしまうと、
何だか陳腐なものになってしまうようで、
このブログにもその様なことを書くのは違うかもしれないと思って
決断をしてから自分の変化をずっと静かに観察しているだけにしていました。
でもここに来て
自分自身とまわりにいる人々や世界の変化のうち、
この決断によって導き出される違いがハッキリ見えてきたので
出来るだけ多くの人とシェア出来ることを願ってここに記す次第です。
僕は今年の春に
本宮大社奥之院にあたる玉置神社で、
『カミのイ』を継ぐことを決意させて頂きました。
僕は何年か前にホツマツタヱに出会い
アメナルミチを学ぶきっかけを頂きました。
それまでも正しい生き方とは何なのかを知りたくて、
本当にいろんなことを勉強してきました。
タイミングというものがバッチリ合うところに
ホツマツタヱが自分のところにやって来てくれたこともあって、
それまで自分が学んで来ていたことが、
一つの出来事を現わしていると気づくことが出来たのでした。
全てのものが陰と陽の交わりによって出来ていて、
それぞれ陰と陽の性質を持ち合わせていて、
その性質がまたそれぞれに引き合い離れあいながら、
生々流転してこの世界を作っている、
という視点を持たせてもらうことが出来て、
それまでの、これこれが正しくてこれこれが間違っている、という
偏った考え方を捨てることが出来たのでした。
和を尊ぶ上で
このことは非常に大切なことです。
自分の中に偏った正しさが無くなると、
内側に「準備が整いました。」と言う感覚が訪れました。
そうするとまたまたタイミング良く
玉置神社の近くを通るルートで波乗りへ行くようなことになり、
『カミのイ』を継ぐことを心に誓う旨の説明を
運転しながら妻に必死で話したりしている自分に気が付くのでした。
人生でそれ程緊張することもないくらいに
緊張しながら玉置神社本殿の前で、
国之常立の命様に向かって
いきなり口をついて出てきた言葉は、
『カミのイ』謹んでお受けいたします。
というものでした。
それまでも僕は惟神の道を地で生きて行こうと思っていたので、
なるべく穢れを自分から遠ざけることにはしていたのですが、
その様な言葉を口にした以上中途半端なことはできません。
最初の何日かは緊張もしていましたが、
アメナルミチを実践すればいいのです。
これこれは正しくてこれこれは間違っているという
そんなちっぽけなことではありません。
陰と陽を見極めて
自らの意識を陽の位置に置いて
その氣で空間を満たしていく
ということを実践していくのです。
自分を穢してしまうようなもの、言葉、行いを
その時その時の判断で遠ざけるようにします。
変に神経質になってしまうのも良くありません。
それだけで氣が陰に偏ってしまうからです。
自分の内側に大切な『カミのイ』を持つものとして、
雑なことは出来ません。
誰か特定の人のためだけにしかならないような事に
手を貸すようなことは決してしません。
僕という人間が居なくなってさらに先の世にとっても
必要であると感じることを優先します。
その土地土地にあるルールを優先します。
でも自分が本気で納得できないことはしません。
そしていくら考えても答えの出ないことに執着することはありません。
なので今やることとして目の前にあることを
その時にやってしまいます。
それは必ずこの地球上でやることなので
この地球に対してリスペクトを持って出来ることをします。
何より実践出来ないならば、
頭で考えるだけのようなことはしません。
どれだけ人として素晴らしいと思われるような事であっても
今の僕に出来ないことならば出来ない事実についてまったく気にしません。
その出来ないことについて、
誰かの手を借りればできるとしても自分で出来ないならしません。
今ちゃんと出来なくてもしたいと思うことに努力を惜しみません。
どんな時でも完全である必要はありません。
言い訳しません。
常に自分のこととして実践します。
いろいろ書き綴りました。
これやってみると、
すっきりします。
誰もが出来ることではないかもしれません。
でも、やってみると意外と簡単で
自分に筋が通ってくるので、
もの凄く自信に繋がります。
見えなかったものがハッキリと見えるようになって、
それらの行為自体は何ら凄いことでは無いことが分かります。
それよりもいろんな言われ方をしている
聖なる生き方が命に繋がっているのが分かるのがたまりません。
いろんな人がそれぞれのやり方で
聖なる生き方をしています。
その人たちがやっていることで共通しているのは、
ごまかしが無いという部分です。
自分の命に対して正直になっている人、
そこまで生ききっている時、
その人のバイブレーションはもうカミの領域にあります。
その時僕らは本当に触れているんです。
生きるっていうのは、
本当に素晴らしいことなんです。
それが見えにくくなってしまう程、
いろんなごまかしがこの世界に溢れかえってしまいました。
それを取り去って行くために、
僕は僕のやり方で僕の命を磨いていくことにしたんです。
だってこの命は、
もともとカミからお預かりしたものですから。
それを最大限輝かすかどうか、
僕にしかできないことなんですから。
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