ここ最近、世界のワチャワチャした感じが
一層強さを増してきています。
世界の至る所でいざこざが起きていて、
それぞれに信条を掲げて
自由とは何か、
公平とはどういうことか、
平和とはどんな状態のことなのか、
今まで人間が築いてきた理想を達成しようと、
多くの人が現実に行動に移している、
それをリアルタイムで見ることが出来る
凄い時代なんだなぁと思います。
多くの人がそれぞれに議論を展開していて
今までにないスピードで情報の共有が出来て、
様々な観点で物事を検証出来て、
それでも不確実な未来を
どう素晴らしいものにしていったらいいのか、
手探りで進むしかない現在に、
恐れや苛立ちが立ちはだかって、
それを打開するべく行動に移しているのではないでしょうか。
僕は皆さんの発してくれる情報で
ピンと来たものにアクセスして、
何か警戒を要するものがあれば、
すぐ動けるようにしています。
いろんな情報に触れるたびに
皆さん良く調べられてるなぁなんて、
本当に感心している次第です。
僕の生活リズムでは
今以上に調べたり勉強していったりするのは無理なので、
背伸びをせず今の僕の目線で見て
このめまぐるしい変化に飲み込まれずに
如何に僕自身にとって最適な判断をしていくか、
そこに揺らぎが無ければ、
この世界の変化からとても多くのことを学ぶことが出来ると思っています。
今の僕の知識と経験から得たもので、
一番確実な基準としている言葉は、
「命を育むこと」です。
もしも自分が何かを選択しなければならない時、
どちらがより命を育むのかという基準で
考えるようにしています。
そうやって考え始めると、
僕はとにかく心が落ち着いていって、
難しく考えなくてもいいんじゃないかなぁとなるのでした。
もしも命を育む要素がないのであれば、
自分としては完全にアウト。
命が育まれる方向へ向いていない話しはアウト。
こっちの命は育むけど
あっちの命を育まないのであればアウト。
命を育む事から優先的に、
そのための思考、
そのための話し、
そのための行動、
それ以外は別に何でもいいしどうでもいい。
という具合に
頭の中はいたってシンプルになってしまうのでした。
そういうところまでシンプルになっていくと、
壮大な理想や
人間の持つ悲しい性や宿命みたいな話しは、
別に何でもいいしどうでもよくって、
今目の前にいる命を
僕が大切に扱えているかどうかが
一番の命題となるのでした。
僕が粗末に扱っていい命など
どこにもありません。
どんなに小さくても
どんなに弱々しくても
どんな形をしていても、
生きたエネルギーとしてあるものが、
僕と一緒に育っていけるように、
僕は自分の全エネルギーを注げばいいのです。
上手にできるかどうかは分かりません。
相手も生きている以上、
自分と違う考えがあるでしょうから、
何か自分の行為が気に食わないかもしれません。
そうならないように
押し付けないように
流れる空気のように
相手に心を配ろうと思っています。
人にも
動物にも
植物にも
もっと意識を拡大して
水や石、
風や星も、
道具や意識の中にいる者たちも、
僕自身の命を育んでくれる相手として、
僕と共にこの世界に存在している全てに
丁寧に接すること、
まぁまだまだですけど、
そこをちゃんとまず自分が出来れていれば
何も相手を責めたりする必要は無くなります。
相手に求めてやってもらえないことより、
自分が分かっているのに出来ないことの方が、
辛いと感じるからです。
命を育むことって
そんなに難しいことなのかなと
感じていた時期もありました。
でもそれは、
何だかんだと理由を勝手に付けて、
雑な行動をしていただけだったのでした。
命は非常に脆くて弱いものです。
だから丁寧に扱わなくてはなりません。
丁寧にさえ扱えばとても強く輝き始めます。
僕はまず自分の命を丁寧に扱うように心がけました。
そうする中で、
他の命も自分と何の違いも無いことに気が付いていったのでした。
ただその命の営みも自然の流れの中で
いつか自然と一つになっていく時が来ます。
それまでの間どれだけ丁寧に扱えるかだけで
いいのではないでしょうか。
それさえ出来れば実は
人間て幸せなんじゃないかなぁと
思っています。
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