最近目にしたネットコンテンツに、
とある有名な科学者の方が述べた
人工知能の将来的な危険性についての話しが出ていました。
その記事とリンクして、
宇宙人がもしいたとしても、
地球人と仲良くなる見込みは無いだろうという考察を
述べている記事も読んでみました。
おおよその話しとしては、
知能の高いものが現れた場合、
地球人を愚かしく思って滅ぼしかねない、
といった内容でした。
人間が滅ぶかもしれないとの考え方を
以前の僕ならフムフムと納得しながら
読んでいたかもしれません。
でもなぜか今回は読み終わった後に
いろんな疑問が湧いて来ました。
その知能の高いもの達が、
もし人間を滅ぼしたとして、
その後に新たな脅威になる存在も、
全部滅ぼしていくのでしょうか。
人間以外にも昆虫やウイルスやバクテリア、
酸性のきつい土壌や強アルカリ性の物質など、
この地球上には生命活動にとって脅威となるものが多くあって、
今は人間が多い状態の中でこの環境バランスなので、
人間がいなくなれば別の脅威がやってくる可能性は大いにあります。
それらを全部無くしていくためには、
結局地球が無くなるまで排除し続けなければならないかもしれません。
それは大袈裟であったとしても、
常に何か敵になりうるものをずっと排除し続ける行為はキリが無く
必要なエネルギーは膨大なものになるので、
そのエネルギーを別の建設的なことに使う方が
生きていく上では効率がいいのではないかなぁ、
なんて思ったのです。
例えば命の危険について考えたとき、
どこまでもそれを遠ざけることが
安全を担保していくという考え方も
間違いではありません。
でも危険というものは、
いつ何処にでも存在していて、
それらは自分が存在する限り
無くなることはありません。
必要以上に不安になった状態では、
生命活動さえもままなりません。
でも生命はある一定の距離に危険を感知しなければ
リラックスして過ごすことが出来ます。
その状態でも五感はしっかりと働いていて、
何かの異変を感じれば
対処するように出来ています。
なので普段は必要以上に不安になることは無く
過ごすことが出来ます。
ただここで最初の話しに戻して考えてみましょう。
確かに行き過ぎた感のある科学技術もある現在の世界です。
そこから派生して、
高い知能が過ちを繰り返す人間を敵に見立ててしまうかもしれない
という思考にたどり着いたようですが、
そこの奥に見え隠れする
強いものが生き残って弱いものが死んでいくという考え方も
高い知能がわざわざ別の生命を滅ぼしてまで繁栄しようとするような考え方も、
ものごとを一方的な方向から見ている気がします。
大きくまとめてしまえば、
不安と恐れから見ています。
そのように見える側面も実際にはあるんですが、
弱肉強食では説明のつかない生命の営みは
この世界のいたるところにあります。
ライオンやトラが個体数を減らしているのに、
ネズミやハムスターは世界中にいます。
人間が増えたのは確かですが、
高い知能をもってして増えたのではありません。
実際歴史上においても高い知能が役に立ったことはありません。
自然の不確実性の中で
たまたま環境に適応した形で存在することが出来た生命体だった、
ただそれだけのことです。
しかもまだまだ発達中で
進化のさなかに居るという視点が抜けています。
最近のDNAの研究でも
先祖から受け継いだもの以外の情報、
例えば共生しているものなどから、
異種族間でのDNA情報がコピーされているということが発見されています。
そうやって違う種族も含めて環境変化を乗り切って来た生命の和の中に、
人間も居るわけです。
それを知能というか、
思考という行為でもって生き抜いてきたかのような思い上がりは、
滅んでしまっても仕方がないかもしれません。
思考というものは
一つのエネルギー波動で、
ポジティブにもネガティブにも
作用を及ぼします。
そのエネルギーが凝り固まるように働いてしまえば、
新しい変化に柔軟に対応できる自然な能力を削いでしまいます。
いくら高い知能で思考しても一方向へしか向いていない状況であれば、
その方向と違う変化に対しては非常に弱いものとなってしまうのです。
本当に高い知能を有している生命体がいるなら、
その辺を理解していただけるはずです。
分からなくてよいものを
分からないままでも
不安になる必要がないことを理解できれば
それ以上の思考や知能は
不安を作り出すだけの
不要なものなのです。
知識や知能で理解しようとするのではなく、
今自分には理解しえない何かが
ずっとあちらこちらにあることを感じられればいいのではないでしょうか。
そしてそれらは決して恐れるだけの対象でもなく、
浮かれてしまうような事象でもないのです。
分からないだけでいいのです。
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