僕は今まで何人の人とコミュニケーションしたでしょう。
言葉を交わした人の数で言えば、
とてつもない人数になると思います。
でも、その中で
伝えたいことがお互いに共有出来たと感じたのは、
何十回も無いかもしれない。
僕が思うこの回数を見て
皆さんはどう思うでしょうか。
例えば、物凄く感動する言葉を聞いて、
自分の中に何かを貰ったような気がして、
次の日から自分なりに行動を起こしてみようとしても、
何かの変化はとても曖昧になっていて、
目の前にある全く代わり映えのない現実に
うる覚えの言葉が全く通用しないという経験は無いでしょうか。
その言葉を聞いた時、
僕は何を受け取っていたのでしょうか。
受けとったと思っていたものは何だったのでしょうか。
この疑問を解かずにずっと過ごして行くうちに、
ほとんどのコミュニケーションは、
ただ放出されるだけの音声が
テレビから流れるだけなのと同じようになってしまっている、
現代はそういう世界になっているような気がします。
いやいや、そんなことは無い!、
話したことがちゃんと伝わっていなければ、
今の社会は成り立ってない!と思っている人が
ほとんどだと思います。
でも、実際には決められたルールに則っていれば、
外れることが無い社会の中では、
言葉の裏側にある細かな違いを読み取るより、
そのルールから外れないかどうかに気を遣って過ごすことを
優先してコミュニケーションしている人の方が多いでしょう。
そのルールを守っている状態が社会を形成することなので、
そこから外れないようにすることの方に気を遣うのが当然であるかのようです。
もちろんその社会の中で過ごす以上
そこをわざわざ破壊するような言動をしないようにするのは当然としても、
自分の中で生まれてくる本当の感情を押し殺してまで
社会を優先させるルールが全体を覆ってしまうようになっていたとしたら
そこにあるコミュニケーションには
言葉の裏側にある心をやりとりすることなどは
面倒くさいこととして追いやられてしまうのだと思います。
おそらく僕の言う言葉の真意を感じるという感覚は、
子供の頃にどこかへ置いていってしまう人が多いかもしれません。
ただこの感覚を子供じみた行為と蔑んでいる
社会のあり方に目を向けてみてください。
子供が将来のお金を生み出すための
労働力の素として扱われていくことが
心無い人を作り出しています。
全ての行いの中に自分の感情を乗せて
相手の感情を汲み取れるように心を開いて
お互いのためのコミュニケーションをしなくなると、
自分の言いたいことだけを優先する
自分の結論以外の存在を拒む人たちが社会を形成して、
見るも無残な争いごとが増えるのは当然です。
多様性を認めない方が
導き出される答えが単純で済むのですが、
その単純さを良い事と思ってしまわない方がいいでしょう。
変化に対して非常に脆くなるので、
不安に苛まれるようになるだけです。
自分と違うものを恐れるようになり、
周りの全てが敵になっていってしまうでしょう。
もう既に社会がそのように動いているとして、
矛盾だらけの状態にあって、
建前という嘘と分かっていてもそのまま続けて
いつ心の底から解放される時がやって来るのでしょう。
このブログではずっと
僕の解放の仕方をひたすら書いているのですが、
また書いていきましょう。
この世界に
自分という意識の中心になるべきものがあるのは確かです。
そこには他の誰とも違うと断言できる自分がいるのですが、
そこから見ている世界と自分を切り離して
単独に存在感を感じているのではありません。
自分とは違う他の者たちとの差によって
自分というものを意識させられています。
ある時は全く逆の感覚であったり、
ある時は本当に一緒のように感じたりするのですが、
何一つ同じものなどこの世界には存在しません。
そして得意不得意があって
それぞれのタイミングで人生の課題として取り組んでいる事も全く違います。
誰も経験したことの無い未来を切り開いていくとき、
解決したい方向性も
大切にしたい想いも千差万別なので
ヒントとなるような出来事や考え方は
あればある程手助けになります。
結局自分の目の前にある未来の扉を開けるのは自分なので、
その手助けになるかもしれない力添えを貰えるかも知れない
千載一遇の出会いの言葉を大切にしようと思えば、
自ずとコミュニケーションの質も変化していきます。
自分をごまかしてしまうようなことがあれば、
二度とめぐりあうことの無い瞬間がどれだけあるでしょう。
本当に必要な言葉が自分にとって優しいだけのものとは限りません。
地獄の底へ叩き落されるような言葉かもしれません。
でもそれを自分で扉を開けるための鍵として
自分を最大限尊重してくれる人に貰えたとしたら、
その言葉は人生を開いてくれるでしょう。
僕は今でも忘れられない言葉や瞬間を与えてもらったことがあります。
そのお陰で何とかやってきたようなところもあります。
一度でもそんな瞬間に触れることが出来たなら
人生の意味は変わります。
粗末にしていい命など無いことを
真に理解するようになります。
嘘の無いコミュニケーションをするようになるので、
心は軽くなります。
その経験を思い出すことで謙虚さを取り戻せます。
そういう経験をどうぞこの世界で
恐れずに探してみてください。
どんな時でも自分に嘘をつかないことから
始めてみてください。
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