いつから意識し始めたのかを考えてみると、
子供のころから
「人は何で生きているんだろう?」と
ずっと思っていて
よく親に質問しても上手くかわされたのを覚えています。
子供の頃はあまり深刻にはなっていませんでしたし、
楽しく遊ぶことでそんな疑問はすぐにどこかへ
飛んでしまうのでした。
でも歳を重ねていくと、
何かその答えになるものが欲しくなっていて、
十歳のころには実存主義なる哲学書を
手に取っていました。
あまり辛気臭い感じに思われるのも嫌だったので、
夜に一人で机に向かって読んでいました。
思春期から二十歳のころまで、
ずっとロックバンドを組んでいたので、
結構いろんな考え方に接する機会が
多かったと思います。
ある程度有名な文学作品も読みましたし
海外のカウンターカルチャー的なものから、
日本のアンダーグラウンドなものまで、
自分の疑問の答えになるような言葉を
ずっと探していました。
それでももっとカチッとくる言葉が欲しくて
ネイティブアメリカンのメディスンや
旧約聖書やヒンディー教のタントラ、ムスリムのコーランも
読みました。
書かれている事はどれも素晴らしいと思うのですが、
何か距離感があるように感じたのでした。
三十代になって仏典にも目を向けてみるものの、
何かまだもっとはっきりとしたものに出会うような気がして、
そのころには自分の疑問にいつまでたっても
答えが見つからないことに少し焦りのような気持ちも
持つようになっていました。
日月神示や火水伝文にふれ、
言葉の優しさがとても心地よく感じたのですが、
まだ分からないことが多くてまだ探してしまう自分を
抑えることが出来ませんでした。
そしてホツマツタヱに出合います。
オオタタネコの命が景行天皇に奉呈したとされる
日本の古代のできごとをヲシテという文字で綴った
古い書物です。
このことはホツマツタヱが正しいとか間違っているとか
そのようなことが言いたいのではありません。
ただ僕の中に安心感が生まれたのでした。
僕は三輪の姓を持つので、
もし真書であれば約二千年前の僕のご先祖様が
「末の例とならんかと」残してくださった言葉に
触れていることになります。
もしも偽書であったとしても
和の心が丁寧にしかも細かな整合性を持って
全編に表現されている一級の芸術作品に
間違いありません。
ヲシテと呼ばれる文字一つ一つにも、
細かな意味に合わせてその形が決まっていて、
美しさを感じることが出来ます。
多くの方が現代語訳して下さっているお蔭で
読み比べながら自分の中に風景を描きやすく、
初めて読んだその日に、
「これだ!」と確信したのです。
自分の中に納得のいく感覚が生まれると、
それまで答えを求めて学んできた全ての言葉たちは
出会ったその時点の自分には
少し遠く感じていただけだったことも
理解できました。
自分がそれまでいろいろ学んで来た経験を
上手くまとめられなかったことが
もっと大きな視点から
一つにまとめることができたのです。
そして実際に生活の中で実践することを
意識するようになります。
今僕が完全菜食になったのも、
ホツマツタヱに、獣の肉を食せば血が凝って身も枯れるぞ、
それは濁った水が乾きやすいのと同じことなのだぞ、
とあったのを見てからです。
腑に落ちないことができない自分に
この言葉だけでそれ以来肉食をしなくさせる
作者の優しさを感じたのです。
お蔭さまで僕の身体は
記憶にある年数風邪をひいていない
健康状態にあります。
何かが正しくて何かが間違っているような
感覚で読んでも見えてこないものがあって、
それは、
陰と陽の相互作用から全てが成り立っていて
足りなくても過ぎてもいけない、
その中を大切にするための説話によって
綴られていることによるのだと思います。
「末の例とならんかと」残してくれた言葉たちに
これからの日本の、世界の在り方のヒントが
詰まっているように感じています。
そして僕はホツマツタヱの言霊たちを
現代に蘇らせる何かお手伝いをしたいと考えました。
ずっと音と映像で何かできないかと考えていたのですが、
今回、ヲシテで詩を詠み、
それに音を合わせるという手法にしようと思いたちました。
僕の表現はホツマツタヱのエッセンスを自分流にアレンジして、
現代に新しい形として蘇らせたいとの思いもあって、
詩は7、5 7、5 7、5 7、5 の今様で表しました。
並びもグラフィックにしたとき
その文字配列が綺麗に見えるので
和歌で詩を詠むのはまだもう少し先になりそうです。
ただ現代に蘇らせるには
ヲシテを使う事が一番大切なことだと感じています。
今回は2作品をYOUTUBEにUPします。
くにとこたちへ わのちかい
たててあゆまん そのみちに
はるかふくかせ あたたかく
こころほつまに はなもさく

あめのむすひの たまのをの
みたれほとくは おのつから
あまつひつきに まつろひて
あわすこころの ゆえおしる

これを詠んでまた何かを感じていただけたら幸いです。
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