2016年2月18日木曜日

健康という考え方から見えてくること

健康でいることと

幸せであることは

とても密接な関係にありますが、

健康とはどんな状態のことを

言うのでしょう。


美味しい物を食べられて、

元気で長生きできたら

それで幸せです、と


以前は思っていたのですが、

最近は感じ方が変わってきて、


今、身体と心が健やかに

自分らしくあることが健康なこと、と

思うようになりました。


どのように変わったのかを

説明していきましょう。


多くの人がある程度自分の健康を

意識して生活しているのは間違いありません。


でも、

自分の健康を

断言できる人はいなくて、


この国のほとんどの人が

ガンや脳卒中や心臓疾患にならないように、

健康診断を定期的に受けています。


実際には健康かどうかの判断を

自分と違うお医者さんにしてもらっていて、

その人の言う食生活や運動を実践することで、

何となく健康に気を使っているという人が

ほとんどではないでしょうか。


以前の僕は少なくともそうでした。


自分が健康かどうかを

自分では判断できなかったのです。


病気を恐れる思いが、

心のどこかに不安を作り出しているので、

健全な健やかさを理解することは、

ありませんでした。


玄米菜食をするようになって、

食べる行為がどれ程直接的に

身体の感覚に関係しているかを知ると、

以前の食事がいかに満足感を刺激するための

行為だったのかが分かりました。


味付けにインパクトがあって、

食べ応えがあって、

満足感を得るのが

食事の醍醐味という感じでした。


でも、しょっちゅうお腹を壊していました。


でもまた時間が来ると、

また満足感を求めて別の食べ物を

腹一杯食べたいと思ってしまうのでした。


僕が禁欲的になった訳ではなくて

身体に優しい食事によって、

欲が作り出してしまう

満足感を求めようとする仕組みを

理解することができたのです。


満足感を刺激することが

常習化していたために、

どんどん刺激を求めることを、

幸せを求めることのように

感じてしまっていたのです。


それがわかると、

心と身体の健やかさは  

医学的な健康管理の考え方と

少し別のところに起因していることを

理解できます。


栄養学的なカロリー計算などで、

身体の機能を維持する見方も、

完全に間違いではないのですが、


心も身体も含めた

全体のバランスとして考えると、


例えば、

痩せなくてはならないと言われて、

「食べたい」と思う気持ちを

抑えたりすることや、


栄養があるからと言われて、

「食べなければならない」と

強迫観念みたいに感じていたりすること、


本当は口にして嬉しくないもの、

例えば化学薬品や添加物などを

しょうがない事として摂る行為は、

心の健やかさを全く無視しているので、

必ずどこかに歪みが発生してきます。


そのままそれを気にしないでいると、

身体的、内面的な歪みが病気という形で

現れて来ます。


どこかで無理をしていれば、

それがその通りに現れて来るだけなのです。


無理をしている部分を

気付いたら素直にやめる

ということだけでいいのです。


病気になるかもしれない、

という不安に対処することを

健康管理と考えていると、

他の人の言うことが気になります。


食べた方が良いものや、

食べない方が良いもの、

してはいけないことや、

やらなければならないこと、


それら全てを自分以外の人が決めている、

そのような状態は

僕は健全な健康とは呼べないと思います。


どれ程お金を出して検査をしても、

無理をしている自分を止められなければ

健全な健やかさは無いのです。


欲を満たすための食事をして、

身体の調子を崩して、

薬で症状を押さえ込んで、

また欲を満たす食事をして、

を繰り返して、

不安を持っていても無視をして、

自分ではどうにもならない症状がでると、

お医者さんにその症状を抑える薬をもらう。


その行為が何かを治しているとは、

思わなくなりました。


そのような生活の中で感じていた

刹那的な幸福感は

自分の心と身体を健やかにはしていない、

ということを理解すると、


刺激的な美味しさを求める考え方も

ただ長く生きるための医学的な考え方も

僕には無くなりました。


自分ことに気がつかないまま、

自分以外の人が判断する健康に

従うことにストレスを持ちながら、

病気への不安をどこかで感じている生活を

止めたのです。


自分の身体に起こる変化を感じながら、

自分で自分のケアをするのが、

心も身体も最も健全な状態だと、

分かったのです。


自分を健全にする選択を

自分の手で選んでいるので、

納得して生きている実感が生まれます。


それでもなってしまう病気は

その時学ぶべきことが自分にある事でしょう。


自分に対して、

無理をせずどれだけ素直か、

今僕が思う健康とは、

そういうことだと思うようになりました。




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