この世に生まれて来るということは
それぞれの個性を持って一つだけの存在となることです。
得意不得意がそれぞれにありますが、
生まれ出てきたその時から、
自分という個として何ものからも独立します。
この世界の中で
自分という持ち場を完全に任されます。
何をしても良くて、
何を学ぶにも、
全くの素人からの出発です。
呼吸をすることから始めて、
食べることも、
歩くことも、
言葉を使うことも、
その環境に合わせて、
全て経験しながら考えては、
更に自分の可能性を試していくことで
成長していきます。
個として存在する以上、
小さな赤ん坊の内から、
確実に自分で考えて行動しています。
身体を上手に使いこなせなくても、
素直に自分の感情を表現して、
如何にして自分の思いを相手に伝えるかを
学びながら少しずつできるようになっていきます。
言葉でコミュニケーションするようになって来ると、
自分以外の人の経験も
言葉を通して擬似的に経験していきます。
言葉による擬似経験は、
空想をともなって本当の経験と変わらない
身体感覚のある記憶となっていきます。
他の人の経験から学んで、
自分の人生に生かすことのできる
人の素晴らしい特性です。
ただ最近、
この擬似経験が
あまり上手く生かされていないことが
多いように感じます。
他の誰かの経験の話を、
自分の直接的な経験とを混同してしまうと、
自分で行動して経験していないことを、
分かったかのように感じてしまいます。
やらなくても分かるというのは、
自分の経験で得た感覚に
同じように至るのが分かることです。
場面が違ったり、
程度が違ったりしても、
自分が経験したことが基になっています。
自分の経験が浅く、
いろんな側面から見ることが
出来ていない内から
他の人の話しを鵜呑みにしてしまうと、
行動力が低下していく上に
自分で考えることをしなくなってしまいます。
自分で考えて行動することは、
この世界を豊かに生きる上で、
もっとも重要な要素です。
自分でやろうとしても
中々できないことを
どうやって乗り越えていくのか、
そこに頭を使って、
試行錯誤してやっとできるようになり、
それを幾度となく繰り返して、
徐々に体が覚えてくるようになると、
そこからやっと自分らしさをその中に見つけて、
その行為を本当に楽しめるようになっていきます。
このことは、
人生のどのできごとにあっても
同じことが言えるのです。
例えば趣味であっても、
仕事であっても、
コミュニケーションであっても、
もっと内面的な愛情の出し方であっても、
自分が経験していく中で、
試行錯誤しながら
自分と向き合って
成長していくものなのです。
その際、
今自分でできないことに
理由を付けてしまう弱さや、
人にやってもらって当然のように思える傲慢さや、
無理だと決めつけてしまう頑固さがあるとしたら、
自立するタイミングです。
自分一人の力で
やってみないことには
何も得るものはない、
そのことに
気付いているのです。
もし本当に
自分一人でできないことだと本気で思うなら、
それはやるべきではありません。
やってみたいと思う事でも
自分一人では出来ないと思うなら
やらないほうがいいです。
なぜならば、
上手くできなかったときの言い訳ができてしまうので、
自分の経験として得られないのです。
上手くできなかったときの
自分の感覚の記憶をたどって、
次に生かせるのは
自分の決意で行動した部分だけだからです。
どんな状況でも
自分一人でやってみるという覚悟があるときに
初めて周りのサポートも得られるようになります。
そこで初めて絆や友情といった
繋がりが意味を持ってくるのです。
自分にできないことを
まず誰かににやってもらう前提で
チームワークなどはあり得ないのです。
得意不得意があっても、
最初から上手くできなくても、
失敗する恐怖に押し潰されそうであっても、
自分一人でやっていく決意が
自分を変え、
自分の周りを変え、
学びの質を変え、
結果を変えていくのです。
一番重要なことは、
決意を自分の中に抱くことです。
そうすれば、
そこから出会ういろんな人の話す、
擬似経験も全く意味が変わってきます。
他の人の経験は、
自分のものではなく、
自分がする経験と
遜色なく評価しあえるようになるでしょう。
他の人の学びを自分に生かし、
自分の学びを人が生かせるのも、
自立した行動による経験からです。
自分という個がこの世界の中で、
しっかり自分の力で立つこと、
それが協調性の一番最初に始めるべきことなのです。
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