この世にあるもの、
全てに陰と陽がある、
とよく言われているものの
幸せであることに
どのように活かすことができるでしょうか。
イメージとしては
陽が明るくて受け入れられやすく、
陰がその逆で陰っていて趣深く、
捉えられていると思います。
でも実は全てのものごとの陰と陽のはたらきは
ちからのはたらく方向の違いがあるだけで、
どちらが良いとか悪いとかではなく、
それぞれが同時に作用反作用としてはたらくことで、
ものごとを上手く未来へ推し進めていくエネルギーなのです。
そのことを理解すれば
身のまわりで起きていることに翻弄されず
自分らしさを維持した状態で
リラックスして過ごすことができるようになります。
それでは簡単なところから、
まず太陽と影を例えにして見て行きましょう。
太陽が昇れば日陰ができます。
暑い夏のことであれば、
日陰はうれしいですね。
でも、暑い太陽があるからこそ
うれしい日陰になっているんです。
日陰をうれしくさせてくれているのは、
暑い暑い太陽の日差しで、
その日差しだけをピックアップしてみると
できれば避けたいものだったりします。
どちらか一方が欠けても
成り立たないにもかかわらず、
一方はうれしくて、
一方は避けたいと
思う対象となっているのです。
当たり前のことしか言っていないのですが、
このどちらかに注意を向けてしまうと
全体を見られなくなって
リラックスできない状況にあるかのような
勘違いを引き起こしてしまうのです。
普段そこまで意識することは無くても、
そういった作用反作用がどんな場面でも
心の中では行われているのです。
もう少し別の話しから説明してみましょう。
例えば欲しいもの、なんでもいいですが、
それが心にどのように作用するかを見てみましょう。
とても欲しいものがあるのですが
それはまだ、自分のものではなく
頑張れば所有できるものだとします。
まだ手元にないうちは
頑張る理由を与えてくれますし
手にいれる未来を明るく照らすことでしょう。
でもこの場面では欲しいというエネルギーが
今自分に備わっているものを見えなくしてしまう方向を
向いているのが分かるでしょうか。
そして手に入れたとき、
それを大切に維持したいと思うようになると思うのですが、
それがすでに悲しみを含んでいるのに気が付きますでしょうか。
このように見ていくと、
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、
といった感じになっていきそうですが、
もう少しニュートラルにエネルギーのはたらきとして見てみましょう。
欲しいと思わせるものが良いのでも悪いのでもなく
欲しいという欲が良いのでも悪いのでもなく
まずその、ものによって、
欲しいというエネルギーが呼び起こされ、
その欲が自分を突き動かして頑張ることができて、
所有によって大切にする慈しみを知ることができたのです。
そして失うとき悲しみを知るのです。
欲がなくては前に進むことも無くなってしまいますし、
頑張らなくては所有できないですし、
失わなければ悲しみを知ることはできなかったわけですし、
そういう経験をしなければ大切に扱う難しさを知ることはないのです。
その時その時において、
陰陽どちらかの作用にどっぷりとハマって行動しているがために、
どんな感情を経験して学んでいるかなんてことには気が付くはずもありません。
それに、
分かっていたとしても、
想像以上になるのが
現実世界のすごいところです。
陰陽どちらかだけが作用することはないのに、
どちらかに傾倒して感情移入してしまうと、
どれかが良くてどれかが悪いというような判断をしてしまいます。
そのような判断は
だいたいにおいて自分本位な価値判断になるのは
同時にはたらいている陰と陽のどちらかに注意を向けてしまうことで、
バランスが悪くなっていることに
気が付いていないことから起こってしまいます。
日々の生活の中で、
起こる全てのできごとに陰と陽のはたらきがあって、
いろんな捉え方ができるうえで、
それぞれのエネルギーが次の学びへ向けて
僕たちの心を大きく動かしていくということを理解するだけで
かなり冷静に自分や周りを見ることができるようになるでしょう。
絶対的に良かったり、
絶対的に悪かったりすることなどないという観点で
今の自分を中庸に持っていけば、
陰と陽のエネルギーを利用しながら、
波に乗っていくことが出来ます。
陰も陽もどちらのエネルギーでも
どっぷりとハマってしまうと
上手に抜け出すのは難しくなってしまいます。
それが引き金になって、
さらに大きな反作用を引き起こすからです。
分かっていても飲み込まれそうになるとき、
やっぱり深呼吸してもう一度よく見てみましょう。
陰の面があるということは、陽の面があり、
陽の面があるということは、陰の面がある。
必ずどこかにピークがあって、
それが緩やかに波を描いています。
それがこの宇宙のうねりとなって
次の瞬間を生み出しているのです。
それがどうなっていって欲しいかという観点は
すでにどちらかに傾倒してしまっているので、
手放してください。
ただただ、大きなエネルギーの偉大さを
よく感じてみてください。
僕ら個人個人の小さな悩みや苦しみみたいに感じているものが
本当にちっぽけなことでしかないことがわかります。
そしてその大きな大きな偉大なエネルギーは
ちっぽけな一人一人にも余すことなく
はたらいていることが分かるとき、
そこへ自分のすべてを委ねることに
何の恐れも抱かないでしょう。
2015年10月26日月曜日
2015年10月23日金曜日
和の誓いを立てることで得るものについて
この大地に暮らす僕は、
目に映るものも、
映らないものも含め、
すべての生きているものたちに
支えられて生きています。
そこには人が作った
社会というものがあって、
お互いの幸せのために機能する
システムとして尊重されています。
ところがこのシステムもどこか上手くいかなくて
いろんな所でほころびが出て来ています。
このシステムのほころんだところを探して直そうとしてみても
また別のほころびが次から次へと現れて来て追いつきません。
新しいルールをどんどん作っていかなければ、
約束された幸せな社会は遠のいていってしまうかのようです。
この、どんどん逃げ場が無くなって行くかのような時間の流れかたが
一人一人の心にどのように働いているのでしょうか。
時代がどんな巡りをたどっていくとしても
真のよりどころとなる自分自信に目を向けて見ることになって、
社会も、世界も、この宇宙をも作り出している意識の持ち主が
自分であることがわかるように追い込まれていっています。
この社会も、世界も、宇宙も、
自分がどのように思い、どのように接しているかが
そのままの自分の在り様として映っているということに
気付いていくのです。
そんな中から、
僕は僕自身を含む僕を取り巻く環境、
人だけでなく、動物や植物、
昆虫や菌類に至る全ての命に対して、
そして目に映らないものごとに対しても、
和を尊ぶ誓いを立てました。
指針とするものは
真のよりどころ、僕の心です。
一つ一つ決断して、
行動して失敗すればそこから学び、
行動して歓びがあふれてくればそのまま進み、
謙虚にものごとを受け止めて、
お陰様に感謝を持って
まことを持って全てに向かい合えば、
その瞬間に手にしている感覚が
紛れも無く僕が誓いを立てた
宇宙全てからの答えということになるのです。
何とシンプルなことでしょうか。
今まで僕がずっと欲しかったものは
このシンプルな答えだったのです。
これまで様々な
幸せにしてくれそうな『何か』を欲しがってしまっていたのですが、
それらはことごとく自分ではない『何か』でしかありませんでした。
決断して行動して感じる自分自身に
ありのままの世界が展開されるのですから、
目いっぱい自分の愛をこの宇宙に
放っていくことにしたのです。
損とか得とか
別にどうでもいいと思います。
シンプルな方が
心地いい、
ただその思いに
正直になることができたのです。
2015年10月14日水曜日
直感で選択していくこと
いろいろなものごとが
オープンになっていくこの時代にあって、
何かが導いてくれるところに
幸せが待っているという物語が幻想でしかないことも
オープンになってきているように感じます。
僕はこのブログで、
今に対して素直でいることだけで十分で
それ以外のことに気を取られないで過ごせるよう
リラックスすることをお勧めしていますが、
自分の選択に自信が持てなかった時期ももちろんあって、
素直でいることの大切さを本当に理解できるようになったと感じています。
さまざまな生き方がある中で、
自分以外の人生を経験できない以上、
どんなことを誰から教わっていたとしても
瞬間瞬間は自分が決断して行動している事実はみな同じです。
時代によっても、
場所によっても、
正しいとされることは変わってしまうものですが、
自分の内側で感じること、
心地よいかよくないかは、
誰が何と言っても一番確かなことであるのは
間違いありません。
ただそこへ至るのにも、
あるがままとわがままの区別を知るための
学びの時期がありました。
自分が心地よいと感じていないのに、
その空間に我慢して居つづけることは、
苦痛以外の何物でもありません。
自分のいる空間が全体として心地よくなければ
自分だけが心地よいというのはあり得ません。
どんな場所にいたとしても、
自分の力みを無くして肩の力を抜いた時、
ふっと自分の中に浮かんでくる思いや言葉、
それを心地よく感じているのかどうか、
その感覚を養う時期が必要だったのです。
素直であればあるほど、
浮かんでくるものは、
自分にとって紛れも無い事実となります。
いくら考えて自分に言い聞かせようとしても、
長続きはしません。
浮かんでくるものに従い始めた瞬間から
ものごとがどんどんそれに合わせて変わっていきます。
そのスピード感は自分の直観に従うことの
素晴らしさを味わうことでしょう。
それとはまったく逆で、
嫌で嫌で仕方ないはずなのに、
そこに居る自分を落ち着いて見ることができることもあります。
そこでは本当の自分はまだ何かを学んでいる最中なのかもしれません。
ある時期が来た時、
経験して良かったと深く感じることになるでしょう。
そのどちらにしても、
自分で選択しているところの理由がはっきりしないほど
直観に従っていると言っていいと思います。
理由があるということは、
その理由のせいで選んでいると
自分に言い訳をしているということです。
直観は、
自分の素直さが空間と一つになっているところに現れてくる
一番簡単で確かに感じられる神秘です。
そこに言い訳なんかが入って来る余地はありません。
損得も無ければ、
美学なんかも後付けでしかありません。
その選択の仕方を続けていけば、
心に恐れはどんどん無くなって、
無垢な気持ちで、
結果にとらわれず
歓んで一瞬一瞬を送るようになっていきます。
何か別の幸せのようなものを
手に入れようとするのではなく、
自分が今ここで
一つ一つの行動を歓んで起こしていると
実感しながら生きていることよりほかに
どんな幸せがあるというのでしょう。
不安を隠すため
何かに没頭する必要はありません。
後悔をしないため
今以上の備えも必要ありません。
自分にとって
一番確かな直観に素直になる
シンプルな生き方をしていれば
必要なものは必ず
必要な時必要な分手元にあります。
楽に生きるとは
こういうことなのかなぁと思います。
オープンになっていくこの時代にあって、
何かが導いてくれるところに
幸せが待っているという物語が幻想でしかないことも
オープンになってきているように感じます。
僕はこのブログで、
今に対して素直でいることだけで十分で
それ以外のことに気を取られないで過ごせるよう
リラックスすることをお勧めしていますが、
自分の選択に自信が持てなかった時期ももちろんあって、
素直でいることの大切さを本当に理解できるようになったと感じています。
さまざまな生き方がある中で、
自分以外の人生を経験できない以上、
どんなことを誰から教わっていたとしても
瞬間瞬間は自分が決断して行動している事実はみな同じです。
時代によっても、
場所によっても、
正しいとされることは変わってしまうものですが、
自分の内側で感じること、
心地よいかよくないかは、
誰が何と言っても一番確かなことであるのは
間違いありません。
ただそこへ至るのにも、
あるがままとわがままの区別を知るための
学びの時期がありました。
自分が心地よいと感じていないのに、
その空間に我慢して居つづけることは、
苦痛以外の何物でもありません。
自分だけが心地よいというのはあり得ません。
どんな場所にいたとしても、
自分の力みを無くして肩の力を抜いた時、
ふっと自分の中に浮かんでくる思いや言葉、
それを心地よく感じているのかどうか、
その感覚を養う時期が必要だったのです。
素直であればあるほど、
浮かんでくるものは、
自分にとって紛れも無い事実となります。
いくら考えて自分に言い聞かせようとしても、
長続きはしません。
浮かんでくるものに従い始めた瞬間から
ものごとがどんどんそれに合わせて変わっていきます。
そのスピード感は自分の直観に従うことの
素晴らしさを味わうことでしょう。
それとはまったく逆で、
嫌で嫌で仕方ないはずなのに、
そこに居る自分を落ち着いて見ることができることもあります。
そこでは本当の自分はまだ何かを学んでいる最中なのかもしれません。
ある時期が来た時、
経験して良かったと深く感じることになるでしょう。
そのどちらにしても、
自分で選択しているところの理由がはっきりしないほど
直観に従っていると言っていいと思います。
理由があるということは、
その理由のせいで選んでいると
自分に言い訳をしているということです。
直観は、
自分の素直さが空間と一つになっているところに現れてくる
一番簡単で確かに感じられる神秘です。
そこに言い訳なんかが入って来る余地はありません。
損得も無ければ、
美学なんかも後付けでしかありません。
その選択の仕方を続けていけば、
心に恐れはどんどん無くなって、
無垢な気持ちで、
結果にとらわれず
歓んで一瞬一瞬を送るようになっていきます。
何か別の幸せのようなものを
手に入れようとするのではなく、
自分が今ここで
一つ一つの行動を歓んで起こしていると
実感しながら生きていることよりほかに
どんな幸せがあるというのでしょう。
不安を隠すため
何かに没頭する必要はありません。
後悔をしないため
今以上の備えも必要ありません。
自分にとって
一番確かな直観に素直になる
シンプルな生き方をしていれば
必要なものは必ず
必要な時必要な分手元にあります。
楽に生きるとは
こういうことなのかなぁと思います。
2015年10月2日金曜日
この星にやさしい暮らしをしはじめて
少しづつ秋の色も深まっていく日々ですが、
この季節は本当に大地の実りが美味しいですね。
僕は妻の協力もあって、
菜食を4年ほど前から続けさせてもらっています。
もともと脂っこい食事でお腹をこわしやすかった上に、
何となくお肉を食べるのが
重く感じるようになっていたこともあって、
それならば!というところから始まりました。
どんどん菜食化が進んでいくと
動物性のものを食べ物として
意識しなくなってくるのでした。
だんだんと自分が食べたいものが何なのか
はっきりとしてくるのを感じました。
それまではお腹をこわしても
食べなければならないと感じて食べていたのですが、
美味しいと感じるものを口にするようになっていきます。
そうして食品そのものが
どのように作られているのかといったことや
添加物や残留農薬のことなども
知っていくようになります。
そういったことを気にされない方も多くいらっしゃいますが、
僕の場合は味覚にこだわった結果、
無添加であったり、
無農薬で自然農法のものや、
天然発酵のものを
選択するようになりました。
そしてそれが結果的に
この星にやさしいことだったりするのを
理解していくのでした。
そこからさらに家庭での食事が
一層楽しく感じてくると、
一緒に料理をしたり、
後かたずけを一緒にするようになりました。
料理に手間がかかる分、
それを楽しくするには
行動あるのみです。
そこから調理器具も
大事に使えば一生使えるものを揃え始めました。
いろいろと探せば手ごろなお値段で
本当に良いものが見つかります。
本当に良い道具が
物を大切にすることを教えてくれます。
そういう学びの中で、
自分の手にするものを吟味して選ぶようになりました。
必要なものを吟味していく中では
必要なタイミングでしか手に入らないものが分かるので、
必要のないものを欲しがる自分もいなくなってきました。
結果的に満たされている生活が
送れているのですが、
最初は自分の体が感じることに
素直に耳を傾けたことから始まりました。
素直になると
見えてくるものがとても多くあります。
この星はとても豊かです。
足りないものなどありません。
そう思っている人に
そのように映っているのです。
必要なものだけで生活するということが
質素な生活に見えるかもしれませんが、
本当に豊かな生活は心で感じるものです。
この星で暮らすということは
この星に対して愛情をもって生活すること
それがとても大切なのを教わりました。
そうすれば本当に健康で幸せな日々を
送らせてもらえる大きな愛情で包んでくれます。
この星も生きています。
どうぞ感じてみてください。
この季節は本当に大地の実りが美味しいですね。
僕は妻の協力もあって、
菜食を4年ほど前から続けさせてもらっています。
もともと脂っこい食事でお腹をこわしやすかった上に、
何となくお肉を食べるのが
重く感じるようになっていたこともあって、
それならば!というところから始まりました。
どんどん菜食化が進んでいくと
動物性のものを食べ物として
意識しなくなってくるのでした。
だんだんと自分が食べたいものが何なのか
はっきりとしてくるのを感じました。
それまではお腹をこわしても
食べなければならないと感じて食べていたのですが、
美味しいと感じるものを口にするようになっていきます。
そうして食品そのものが
どのように作られているのかといったことや
添加物や残留農薬のことなども
知っていくようになります。
そういったことを気にされない方も多くいらっしゃいますが、
僕の場合は味覚にこだわった結果、
無添加であったり、
無農薬で自然農法のものや、
天然発酵のものを
選択するようになりました。
そしてそれが結果的に
この星にやさしいことだったりするのを
理解していくのでした。
そこからさらに家庭での食事が
一層楽しく感じてくると、
一緒に料理をしたり、
後かたずけを一緒にするようになりました。
料理に手間がかかる分、
それを楽しくするには
行動あるのみです。
そこから調理器具も
大事に使えば一生使えるものを揃え始めました。
いろいろと探せば手ごろなお値段で
本当に良いものが見つかります。
本当に良い道具が
物を大切にすることを教えてくれます。
そういう学びの中で、
自分の手にするものを吟味して選ぶようになりました。
必要なものを吟味していく中では
必要なタイミングでしか手に入らないものが分かるので、
必要のないものを欲しがる自分もいなくなってきました。
結果的に満たされている生活が
送れているのですが、
最初は自分の体が感じることに
素直に耳を傾けたことから始まりました。
素直になると
見えてくるものがとても多くあります。
この星はとても豊かです。
足りないものなどありません。
そう思っている人に
そのように映っているのです。
必要なものだけで生活するということが
質素な生活に見えるかもしれませんが、
本当に豊かな生活は心で感じるものです。
この星で暮らすということは
この星に対して愛情をもって生活すること
それがとても大切なのを教わりました。
そうすれば本当に健康で幸せな日々を
送らせてもらえる大きな愛情で包んでくれます。
この星も生きています。
どうぞ感じてみてください。
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