この世界は僕らに
常にメッセージを投げかけています。
メッセージはとても多面的で
自由に解釈することができます。
どのように捉えたとしても
その全てがその時の正解で、
間違いなどではありません。
その時感じたことによって、
新たにエネルギーが動き出して、
次の経験へ誘います。
ある時点で
一つの経験がカギになって
それまでの経験を
一つの道のりとして繋がっていることを
確信できる場面に遭遇できたりします。
でも、それも一つの経験として過ぎて行って、
またさらに深い学びの経験へと
歩みを進めます。
ただ毎日が
学びに対して純粋な歓びと共にあるかというと
それだけでもありません。
この、それだけではないところが、
道のりとしてとても大切な部分なので、
どんな感情が
どんなタイミングで
何に対して反応しているのかを
よく見ておくことにしています。
腑に落ちない感覚を
安易な言葉で自分に言い聞かせることは
自分が成長できたと心から歓べる経験に対して、
とても遠回りになってしまうからです。
以前の自分は
早く腑に落ちる答えが見つかって欲しいと思うようなことがあったとき、
『信じる』という行為にエネルギーを使っていました。
『信じる』
それ自体が悪いことではなくて
あくまでそれも一つの経験として起こるのですが、
同時に
『疑う』ということも必ずセットになってしまうのです。
心が上向きにいる時には
『信じる』エネルギーとして作用しますが、
下を向いてしまっている時は
『疑う』自分を見たくないと感じるところから始まってしまいます。
それらは常に作用反作用として働いているので、
いつまでたっても自分の深い部分にメッセージが届いていきません。
そのうちに受け取ったメッセージに
自分なりの解釈なども付け加えてしまって、
さらに『信じる』べきものと『疑う』べきものとに
ものごとを分けてしまうようになります。
それでは
愛が発してくれているメッセージを
ちゃんと受け取れてないことになってしまいます。
『信じる』ことと
『疑う』ことをこえて
何となく気になるメッセージが
自分の腑に落ちる経験として
すぐその場で訪れないということは、
分からない状態で感じる感覚が
その場面で自分に必要な経験なのです。
何かしらのメッセージを鵜呑みにすることよりも
自分の心が何を感じているのかをよく見ることで、
自分がその空間に対して素直でいることができて、
真の和合へ働きかけることができるのです。
今まで幾度となく言われ続けてきたメッセージも
本当に腑に落ちる場と空間に
必要な形で存在していないならば、
何の意味もなさないのです。
それよりも
自分の奥深くにある真の愛に対して
素直に過ごすことのほうが
どれほど世界に貢献できるでしょうか。
今を精一杯素直に生きることが
何にもまして尊いことなのです。
その中で
この世界は最高最善のメッセージを
僕らに投げかけているのです。
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