2016年3月31日木曜日

食を正すことの大切さについて

今の日本はとても手軽に、

お腹がすいたらすぐに

食べ物や飲み物を手にすることができます。


そしてそれらは、

いつどんなところで買っても、

同じ味になるように

様々な添加物が使用されています。


そしてさらに、

プラスチックの綺麗な入れ物に入っていて、

毎回丁寧にビニール袋に入れてくれるのです。


僕は今、

工業的に加工される食品や添加物の近代的な便利さを

見直す時期に来ているのではないかと考えています。


これは少しまえの映像ですが、

アホウドリの親が雛にプラスチックゴミを与えてしまうという映像です。



この映像を見たとき、

僕はただのゴミ問題というだけではなくて、

何か人間に動物たちが身をもって教えていることが

あるような気がしました。


この映像を見始めたころ

僕は徐々に菜食へと変えていくのですが、

まだまだ正しい食事というものが何なのかを

理解していなかったこともあって、

ただ悲しい気持ちになってそれ以上

この映像に対して何かを語ることはできませんでした。


それから添加物のことや、

精製という工程を経ることの弊害や、

農薬のことや有機と言われる肥料のこと、

そして食物自体の種のことなんかも

知るようになっていくのでした。


現代人の約2人に一人がガンになる時代なんて広告が

普通に目に入ってくるようになって、


これだけ栄養学的にいろんなことが分かってきているのに、

どうして健康が遠くにいってしまうのか考えてみる必要があると

そんなふうに思うのは僕だけではないはずです。


そんな折にホツマツタヱの食に関する陰陽の考え方に出会い、

桜沢如一さんの陰陽を大切にする食養に出会い、

若杉ばあちゃんの食の在り方に出会い、

他にもガンを克服された方の記事にある旬の無添加食などから、

自分なりに学んだことを基本にして、

自然農法の玄米菜食を始めたのです。


無添加で旬のものを食べるVEGAN生活を送るようになって、

自分の身体を自分で管理できる感覚を手にすると、

アホウドリが教えてくれていたことの意味が分かるようになってきました。


そして今僕は、

プラスチックトレイに乗っかったものを、

プラスチックの容器に入った飲み物を

手に取ることがほとんど無くなりました。


この現代において完全に無くすのは、

かなり無理があると思いますし、

自分なりにここまでゴミを減らす食が出来ていれば、

こういった人も増えてきているみたいですし、

未来は変わっていくと思います。


そして今僕のしている食生活が

努力のようなことでは無いこと、

とても美味しく豊かに送れていることを

お伝えしたいと思います。


便利さだけを追及してしまうと

見えなくなってしまうものが本当に多くあります。


食を正すことで

本当に多くのものごとが

整っていくと確信しています。



2016年3月15日火曜日

世界平和は家庭から

家庭が平和であったら

何ごとにおいても幸せで、

その安心感は何ものにも

変えることはできません。


このことを言えるようになったのも

実はここ最近のことで、

去年まではあくまで理想として

この言葉を捉えていたのでした。


分かってはいるけど、

どうしてもちょっと気になるところがあって、


それを言うと喧嘩になるのも分かるので、

言わないようにしたり、

やんわりと遠まわしに言って伝わってなかったり、


だんだん溜まってきて

ほんの些細なことで言い争いになってしまったりして、


平和というものは

いとも簡単に崩れてしまうものなんだと、

変に納得してしまうのでした。


でも僕はこの

世界平和は家庭からという言葉を

ちゃんと実践できれば

本当に世界平和の第一歩になるのは間違いないと思い、

ずっと挑戦していたのです。


まず相手は自分を映す鏡なんだという

その意味をよく理解することに努めました。


これは自分のことでなく

他の人の話しを聞いていたりすると良く分かるのですが、


自分がやられたら嫌だな~と思うことを、

意外と気づかずに自分が相手にやっていて、

それを指摘されると

「そんなことする人は信じられない!」って思ってしまう、

そんなことする人だったりする自分を

相手に投影して見ているということなんですね。


だんだんそれが分かってくると、

相手がいや~なことをしてきているとき、

これはもしかすると自分がこんなことを人にしてるって?

と思うようになってきます。


そしてあるとき、

自分の行為がまんまその通りだったりするのに気が付くのです。


そのときの自分にごまかしの効かない状態に観念して、

自分が変わっていくのでした。


そこに行きつくまでには、

やっぱり凄い言い争いになったりして、


それでも一緒にいてくれたことに

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


そして相手が鏡という部分と

相反するようなことがらとして難しいのが、


やっぱりやられると嫌なことを、

どの様にして相手に分かってもらうかということです。


自分を投影して相手を見ているのではないことが

ハッキリ分かるまでは必ず言い争いになっていましたが、

自分がその部分をクリアーしていたら、

怒りの感情ではなくて

もっと優しく相手の行為を見るようになってるので、


その行為をすることが、

その人自身と僕の関係性にとって良くないのを

伝えることができます。


お互いに一人一人の人間なので、

感性に違いがあって当然ですので、

どちらかが我慢をして過ごすことの無いように、

自分の嫌なことを素直に伝えることは

とても大切なことです。


ただそこに怒りや拗けが絡んでいないことを

自分でよく見つめなければ

せっかく相手を思っての行為も

全て裏返しになってしまうので気をつけたいところです。


その感じをお互いに理解しあえると、

お互いの存在はお互いの成長に欠かせないパートナーとなります。


でも僕はここからが

本当に相手を思えるかどうかの始まりだと感じました。


言葉に伴った行いができるかどうかの

段階に入ったのです。


僕は一緒にいるときは

なるべく一緒に家のことをするようにしています。


料理や洗い物、

洗濯ものを干したり、

掃除機をかけたり、

その時々で一緒にできることを

するようにしています。


自分一人でしかできないことや

お互いのそれぞれの時間は一人ですが、

一緒にできることや分担できることは

一緒にやったほうが楽しいです。


それが家族なんだと感じています。


僕も妻もビーガンで、

サーフィンをやっています。


同じ価値観を共有していると思って一緒になったものの

細かい部分の違いを本当に分かり合えないのが

とてもつらく感じていました。


どちらも人生を楽しもうと

お互いに協力し合おうと思って過ごしているのに、

すれ違いが起こってしまうのを、

5年越しで本当の家族として過ごすことができるようになりました。


かなり早いと思います。


そしてこのすれ違いを

乗り越えられただけでも

凄いことだと思います。


僕は僕以外の人で

ここまで信じることのできる人が存在することに驚いています。


僕が他の人を

このような感覚で見たことがなかったからです。


この宇宙で一人でもこのような人が

目の前に現れてくれただけでも

本当に有り難いことだと感じています。


そしてそれを感じさせてもらえるまで、

いろんな場面を共に経験してくれたことに感謝しています。


あとはこの気持ちを

どのようにして言葉や行いで

相手に伝え続けることができるかだと思っています。


そこはストレートに努力しようと思います。




2016年3月8日火曜日

覚悟について

今ここで真っすぐ進むか、

右か左か、

立ち止まるか少し戻ってみるか、

一様に考えて行動するのですが、

覚悟というものがあるのと無いのとでは

その後の人生が変わってくることについて

記していきたいと思います。


覚悟というと

よし!今からやるぞ!

みたいに感じていると思いますが、

そのような覚悟は疲れてしまって、

長続きしません。


覚悟とは

悟りを覚えている状態で、

自分がどの選択をしたのかを

覚えておくことです。


たったそれだけのことなんですが、

これをしながら生きていくとなると、

もう面倒なことと感じてしまいます。


そこに大きな変化の鍵があるわけです。


覚えていたとしても、

うる覚えのことが多いのは

決断するにあたって自分が決め手としたものが

何であったのかを覚えていないからです。


この世に生を受けている

全ての命が見えない未来へ向けて

歩いていくわけですが、

より良い未来を創造していくには、

今この瞬間に自分が何をするかにかかっています。


ただ何となく選択していくことが

ただ何となくよく分からない未来へ繋がっていくのは、

当然のことなのです。


自分が思い描く未来へ近づくには、

今何を選択するのがいいか、

それをハッキリすればするほど、

その道が繋がっていくわけです。


未来というもの自体が

様々な影響下で決定されてくのは仕方のないことですが、

自分の選択がハッキリした状態で

進んできた時間の積み重ねを

ある時振り返ると、


確実にここまで来た自分の足取りが

間違っていないことを確信できるようになります。


例えば僕はビーガンなので、

皮革製品は使用しなくなり、

服を購入する際にも、

メーカーのリサイクルポリエステルの使用率や

そのメーカーの環境的な姿勢を

考慮して選ぶようになっています。


僕が生きているうちに

もっと人と自然が調和した状態になることを望んでいますが、

今の僕にとって時間は関係ありません。


今僕はそのようにして

自分の身の周りにあるものたちを、

地球環境に配慮した選択で

全て整えています。


その連続がこの先も変わることはなく、

方向修正が必要ならば受け入れて

一歩づつ自分の思い描く未来へ向けて歩き始めていて

いつか到達する道の上にいるのです。


そのことが自分ではっきり分かると

例えば若かった頃の多くの過ちも、

この道を選んだ一つの理由として

光を当てることができます。


わざわざここに上げることはしませんが、

お天道様にもう秘密はありません。


ただ何となく決めていた一つ一つのことを、

これはこれ、これはこれ、と決断していく心地よさは、

必ず良い結果をもたらします。


その一つ一つの決断の連続が

覚悟だと感じています。


それでこんな映像作品を作りました。




















さすらうみちに ふくかせの

かかるくもさき はれわたす

さらすあやまち をにかえし

ここにかくこの きわまれり


覚悟をきめて

自分の人生を

自分のものとして生きたいと思います。



2016年3月2日水曜日

自分のことを決められない人たち

最近僕の身の回りの方たちと話していて、

ある傾向に気がついたので、

書き記しておこうと思います。


僕はこのブログを始めたころに、

ホツマツタヱを読んで

日本の古式床しい生活を現代生活の中で

実践できることからしようと考えて、

物をなるべく持たず、

捨てず集めず必要なものを選択して、

その選択もできる限りこの星に優しいこと、

この星の恵みに感謝のできる物を選んで、

ものごとの陰陽両面を意識して

行動するようになりました。


最初は自分を使って実験するぐらいの

気持ちから始めてみたところ、

それまでに自分に蓄積していた知識、


例えば、

禅の宇宙観、精進料理のこと、

ヨガの気の流れのこと、

マクロビオティックのことから、

若杉ばぁちゃんの言っていること、

ネイティブアメリカンの自然哲学や、

他にもキリがないほど、

つじつまが合ってきて、


自分の内側がみるみるうちに整って、

恐れは無くなり

迷わなくなって決断が早くなり、

失敗からも素直に学んでいくようになって、

というふうに変わって来たのです。


やはりそうなると気になる人も現れて、

特に食べ物に関しては、

分かりやすく実践しやすいことなので、

玄米菜食を始められる方も出てきました。


そしてその人たちにも少しずつ

変化が起きています。


僕は玄米に関して

完全無農薬の自然農法のものを食べれば、

必ず良い変化が現れると確信してます。


心も身体も軽くなります。


ただ、

そういう話に興味を持ってはいるものの、

現代的な食を含めた生活をやめられないと

言う方たちも居て、


そういう方たちはだいたい、

タバコをやめられないことや、

お酒の量を考えてることや、

お腹を壊すけど脂っこい味付けを好むことに、

ちゃんと納得できていない思いを、

僕に話しに来られるのです。


そこで、

本当にやめたいのなら

やめられるという話しをすると、

やめたくない思いについて

話しはじめるのです。


ここで良く勘違いをされる人がいるのですが、

タバコやお酒や肉食にしても、

身体への負担がかかっているというだけで、

やってはいけないことではありません。


それが無ければ

生きていられないかのような

依存になってしまっている心が

健全ではないのです。


もしもここでその依存を断ち切れない理由が、

タバコやお酒やお肉の方に原因があるなら、

それらは本当に悪い物でしかないので、

法律でちゃんと規制しなくちゃならない

ことになります。


そういうふうに依存状態にあることを

丁寧に説明すると、

その次にだいたい返ってくるのは、

お医者さんや、家族、会社での付き合い、

テレビなどがこんなことやあんなことを

言っていたし、みんなそういうふうにして、

みたいな話しが展開していきます。


ここで僕と違うなぁと感じるのは、

僕は自分が良いと感じるかどうか、

そこが全ての始まりなので、

誰かが僕に言っていることが、

良くないと感じた場合は、

周りがどうであっても

僕の判断でその行為をしません。


良いかどうかが本当の意味で分からないものは、

自分の判断でちゃんと調べることにしています。


誰かの話しを鵜呑みにしません。


たとえおしゃか様やジーザス様や

スサノヲ様や尊敬する先輩が言っていてもです。


なぜなら、

僕には感じることができて、

考えることができて、

行動することができて、

間違いから学べて、

喜んだり悲しんだりすることができる、

命を授かっているからです。


この命が持っている能力のどれもが

一人一人に備わっているのですから、

僕より凄い人もいなければ、

僕より劣っている人もいません。


もし感じることができるなら、

魂の宿る全てのもの

動物や植物、

石や水、風や太陽や星、

宇宙人も神様も

みんな自分で感じて決断するのですから、

僕より凄いものもなければ、

劣るものなどないのです。


誰かが僕より凄いのであれば、

同じように僕もあなたも彼も彼女も凄いのです。


ただ、

自分が素直に感じる心に

ちゃんと正直でいないと、

すぐに分からなくなってきます。


自分を少しでもごまかしてしまうと、

自分が感じる自分の微細なバイブレーションを

見逃してしまいます。


僕を構成する全ての細胞から

吸い込む空気や内に宿る魂も

全部自然の一部なので、

素直であればあるほど、

自然な状態になっていこうとします。


独断的な人間だけの社会を超えた

大きな自然の動きに合わさっていきます。


決断して行動するのは、

自然の変化にタイミングを合わせること

それだけで十分なのです。


何かのためだとか、

そういった理由から考えても

分からなくなるだけです。


シンプルになれれば、

そういった理由が必要なのでなく、

なるようになる仕組みを

言葉は説明しているだけなのが分かります。


自分で考えて行動して、

学んで次へ向かう。


このシンプルなことが自分の判断で

出来ない人が増えているのを感じます。


自分が何をするにも一番最初になる

自分が今どう感じているのかの前に

周りのことに気を使ってしまっている人が

とても多いのは気になっています。


綺麗ごとを言っていても始まらない

そんな時代に入って来ています。


どこを見ても

余裕など無い人たちが多くなってきています。


でも、

シンプルな生活をすると、

これまでの過剰な豊かさを求める生き方では

続かなくなっていく現実と、

欲しがる心が目の前にある豊かさを

隠しているだけということが

分かってきます。


自分の力で生きていないとしたら、

誰かに自分の決断を委ねているとしたら、

そこには不満も出てきます。


自分で決めて引き受けるということが、

全てを良くしていく始めになっていきます。