毎日を丁寧に過ごすように気をつけていても、
生活していく中で単調な繰り返しが続いてくると
知らず知らずのうちにものごとを
「当たり前」に思ってしまうことがあります。
この「当たり前」という思いを
いろんなものごとに対して持ってしまうと、
有り難みが無くなって、
文句も言いたくなるし、
なんだか腹が立って来るし、
良いことが全く無くなってしまうんです。
有り難いことだなぁ、と
感じることができると、
それだけで心がフワッと
柔らかくなって来るものです。
無理に思おうとせずとも、
「当たり前」のことが、
どれ程「有り難い」ことなのかに、
目を向けるといいと思います。
日々の生活の中では、
良いことばかりではありません。
そういうことが起こると、
どうしても起こったことに
意識が向いてしまいます。
そうして全体を捉えることなく、
細かいことに自分の感情が揺さぶられると
そのことがらに対しての自分の反応は
当然のこととして思えてくるようになります。
そうなってしまうと、
出てくる言葉や行動は、
もう当然のごとく行なっているので、
感情が昂ったまま自己本位に行動してしまっているなどと
考えもつかない状態になっていきます。
その状態では、
当たり前に
自分は正しくて周りが間違っている
という結論しか出てきません。
そうなってしまったときは、
自分の感情が昂っていることを、
一度ちゃんと認識してから、
一息ついて、
そこにある自分自身も、
取り組んでいたことがらも、
取りあえず今そうなってしまってる結果も、
何一つ当たり前のできごとなどないことを
思い出してみましょう。
同じようにやってみても、
二度と同じ時間は来ないのです。
似たような経験はあるかもしれませんが、
その時に感じることも、
それに対して反応することも、
まったく別のものなのです。
もし何度も同じことを感じていることがあれば、
それこそが、
「当たり前」に思っている自分なのです。
そう思って当然だと
思ってしまっているのです。
自分がここに居ることは
奇跡の連続だったことを
思い出してみましょう。
ギリギリのこともあったでしょうし、
少し余裕を感じていることもあったでしょうが、
本当にいろんなものごととの関係性の中で、
今の自分がやっと辿り着いている場所が
今ここなのです。
もうちょっとこうだったらとか、
あぁだったらとかは、
少し置いておいて、
「当たり前」になってしまった自分自身を
「有り難い」ものと捉え直してみましょう。
自分のすぐ近くにあるものも、
部屋の中にあるもの、
外にあるもの、
地上にあるもの、
空やもっと遠くにあるものも、
何一つかけがえの無いものばかりです。
当たり前にあるものは、
どこにもありません。
当たり前に思ってしまった瞬間に
全てのバランスが崩れてしまいます。
これは全てのものに
感謝をしましょう!
ということとは違います。
「有り難い」ことであっても、
自分にとって必要なことと必要ないことが
もちろんある訳ですから、
自分にとって必要ないものまで、
感謝することはありません。
心がウキウキすることにだけ、
どんどん向かっていけばいいのです。
それらに対して
「有り難い」奇跡と巡り合えていることを意識してみれば、
勝手に心の底から感謝の気持ちが湧いてきます。
そこで出てくる言葉が、
「ありがとう」
なのだと思います。
また今日から一つ一つを
大切にしていこうと思います。
ありがとうございます。
0 件のコメント:
コメントを投稿