2019年1月24日木曜日

バンコクを旅して見えた自分の未来へのあり方

今が冬本番の日本を離れてバンコクへ夫婦で旅行へ行ってきました。


この旅が自分にとってどれ程の転機になったかを少しお話ししたいと思います。


何か人の生き方を改めて捉え直してみたい、

とか考えている方などのヒントにでもなればいいなぁと思います。


あくまでも今の僕から見た方向性で説明していきますので、

基本的に人には様々な面があった上でのその歩みとして読んでいただければと思います。


まず今回の旅の目的地であるバンコクに行くこと自体が

ここ最近の自分では考えられなかったことだったんです。


例えば普段街へ出かけるだけでも明確な用事が無ければ一切行かないほど

街のワチャっとした雰囲気を敬遠していました。


若かったころはそれこそ何かを見つけようと、

何の用事が無くても街へ繰り出していったものです。


でも、ただ物事を消費していくだけのような生き方をやめてからは、

街に渦巻くエネルギーがどこか間違った方向を向いているような気がして

自然の中にいて自分を整えられるようにしたくて街を離れていきました。


去年の11月に夫婦で興福寺を訪れて、

その時に僕の奥さんが釈迦如来像に感動した経緯から、

タイの涅槃寺、ワットポーにいる釈迦涅槃像に逢いたいということで

今回の旅は始まりました。


僕自身は今回で4回目のタイになるんですが、

涅槃寺だけは行ったことが無く、

ブッダ兄さん好きの僕もまさかこのタイミングで会いに行けるとは思ってませんでした。


前回行ったのももう20年も前になり、

ここ最近のバンコクの発展ぶりの話を聞くと

僕が好きだったタイの柔らかい雰囲気が残っているかどうか少し不安でもありましたが、

あの土地全体がオープンで陽気な雰囲気の中、

建物の高さが変わっただけのような感じにも思えました。


ただ行ってみて驚いたのは、

ここ20年という最近の街の発展ぶりで、

想像していた以上に綺麗で洗練されていて、

映画に出て来る近未来都市のような電光表示の看板に、

それらを気にすることなくスマートに動く人の流れの中、

この街がこういう風に発展しているのが本当に正しいのか?

という疑問も同時に湧いてくるのでした。


そんな中でも街の中心地にエラワンの祠と呼ばれる

バラモンの神さまブラフマが祀られているところがそのままあったり、

大都会の中でその場所がちらりと見えるだけの位置から、

通りすがりに手を合わせる人が居るのを見て、

そこに暮らす人たちの心の中には

大切なものがちゃんと息づいているのが分かりました。


でもこのような発展の裏側には必ず暗闇の面があって、

そういうところが発展していくことに対してどこか懐疑的に見てしまう、

僕が街を避けている理由となっているのでした。


でも僕が以前バックパッカーとしてバンコクを旅していた時、

同じように社会の闇の部分があって、

そこでたくましく生きている人達の笑顔に触れて、

どこか人生をナメていたような自分に気づかされ、

それから生きることに肝が据わっていくことになったのを思い出しました。


そしてこのような時代の変化があったとしても、

そこに生きている人達の真っ直ぐなひたむきさは、

20年前から色褪せることは無く、今でもギンギラギンにパワフルなままで、

見ていて少し笑ってしまうような明るさがあるのが

バンコクのいいところなんだなぁと改めて感じることが出来たのです。


そんなごちゃまぜのアジアらしさの中、

実はバンコクのオーガニックやヴィーガンへの移り変わりも

日本よりあるかもしれないと感じました。


セブンイレブンやローソンと同じように女子高生が

オーガニックのスーパーでお菓子を買っていくのです。


そういう幅の広さを生で見ることが出来て、

何か僕の偏ったものの見方に気付くことが出来ました。


今全部ひっくるめて一緒に未来を創っていっていて、

その中で人は自分に正直に一生懸命生きていることをまず認めないと、

何もその先に希望なんて見えてこないんじゃないかなぁって思ったんです。


例えば人類がこの星のことを理解するのがもうちょっと先になってしまったとして、

そのせいで犠牲になる何かがあるとしたら、

それを今知っていて辛い思いをしていると嘆くことと、

その時まで理解出来ずにいて

自分の一部分が無くなってしまっていたことで辛い思いをすることに、

何も違いは無いということを理解することが出来たのです。


そのどちらの考え方も、実は未来を創れていません。


もっと未来をどうしたいのかよく考えてみると、

未来を明るく照らして、今を幸せに生きたいっていう風に思ったんです。


ということは例えばこの星のことを今僕が考えて行動しているかどうか、

しかもそれが未来を心配してではなくて、

未来に希望を持って明るく行動しているかどうかの方が

大事だなぁと思ったんです。


そこに辛さを持ち込むのは、

僕の個人的な屁理屈のようなもので、

地球やこの世界は一生懸命未来に向かって行ってるだけなんだって思ったんです。


そう思うと誰かを単純に責めるようなことも思わなくなりますし、

目の前の人の一生懸命を評価した上で、

僕自身がするべきことに集中できて、

それが変な説教なんかよりもっと効果のある言葉のように

今を明るくするんですよ。


もしも今という時を明るい状態のままずっと維持していけるとしたら、

未来はどうなるでしょう。


そういう部分に自信が必要とか無いとかも関係ないんですよ。


今僕が感じているのは

本当にはどこに目を向けて

今何を感じて何をしているかに集中出来るかどうかで、

この世界って変わるんじゃないのかなぁって

そう思ったんです。



2019年の年明け早々に

自分の中から変に曲がったものの見方を取り去ることが出来たのは、

何となくあの涅槃のブッダ兄さんが見ていてくれたからなんじゃないかなぁって

そんな風に思う旅になったのでした。





2019年1月2日水曜日

明けましておめでとうございます。

今年のお正月は風は冷たいですが天気も良くて

とても心地よく過ごせるいいお正月を過ごせています。


みなさんはどんなお正月をお過ごしでしょうか。


昨年は本当にいろんな出来事が起こって、

自分の中にいろんな感情が湧き起こり、

それによってどんどん自分自身を見つめ直すことが出来て、

今ある自分を本当に信頼して行くことが出来た一年でした。


今までも信じていましたが、

どこかしら矛盾する部分を抱え、

その矛盾をいかに晴らすかというところにも

少なからず気を遣わずにはいられない自分に

もっとスッキリ出来たらいいのにという思いがあったのは確かです。


でも、昨年の多くの自然災害や

国内外で起こる人が人を卑しめる行為を目の当たりにし、

僕が僕自身に抱えていること、

そこで感じてきたいろんな事柄をもっと

素直に出していければもっと多くの人の役に立つかもしれないと

そんな風に思えるようになったのでした。


僕の人生の歩みはある角度から見れば、

とても特殊な人生を歩んでいるように見えるはずです。


簡単に説明することはとても難しいですが、

例えばバンドマンだったとき忌野清志郎さんの前座として

同じステージに立ったことがあります。


アンコールで呼び出されて「雨上がりの夜空に」を一緒に歌いました。


とにかく調子乗りだった僕は延々舞台の前のほうで客を煽っていたんですが、

歌が始まっているにもかかわらずやり続ける僕に

マイクを向けて「Hey Hey Baby!」の掛け合いをやらせて、

肩をグッと抱いた後、ステージ中央へ歌いながら戻っていきました。


その余裕のパフォーマンスを自身の体で経験した僕は、

そこから学んだことをどう活かすべきでしょうか。


彼が残した偉大な功績に対して僕が歩んできた道のりは本当に正しかったのでしょうか。


自分の過去の経験をただ単純に良かったなぁと

振り返ることが出来ない自分が居たのです。


もちろん今僕の身近にいる人達には僕の人生の何かを隠すつもりなど全く無いので、

みんな知っています。


でも、例えばこのブログのように不特定多数の人に向けた文章にするとき、

僕の経験をただの自慢のように捉えられたくない自分が居て、

少しベールをかけたような表現をしていました。


もっと簡単に言えば今の自分に本当の自信が無かったのだと思います。


でも、この正月という一つの節目を迎えて、

自分の中の何かブロックをかけていた部分を外そうと思ったんです。


あのロック史に名を残す忌野清志郎さんに肩を抱かれた僕が今言えるのは、

僕は今のところ自分に嘘の無い人生を送れています、

といったところでしょうか。


確かにあの時命を賭けてやっていたことから別の生き方を模索するのは、

本当に苦しかったですし、何回も「後悔」の二文字が頭を過ぎりました。


恐らくあのままあの道を行っていたら僕は生きていないと思います。


死ぬ気でやっていたのは本当で、

自分の中にあった矛盾を叩き壊していくことのために、

ロックという音楽を利用させてもらっていました。


人を嫌いになることができなくて、

でも人としての行いに疑問を抱かせる誰かに抱く嫌悪感を

自分のものとして叩き壊せるまで音楽というものにぶつけて

自分を保とうとしていました。


その後バンドを辞めてからお金が完全に底をつくまで

いろんなところを旅してまわったんです。


そしてまたお金を貯めては旅に出るというような生き方をして来ました。


いろんなことを経験しました。


ギリギリだったことなんていっぱいあります。


でもずっと何かを求めてそうやって来たのだなぁと思います。


その何かというのは、

例えばお金や名声や地位やそういう類のものではなかったんです。


もうちょっとあの場所で頑張っていれば若くして成功していたかもしれません。


でも、生きれていないような気がします。


僕が欲しかったのは、

そういった物ではなかったということです。


今から七年まえに奥さんに出会ってからも暫くは、理解出来ていませんでした。


でも、一緒に家族という一つの社会を創っていく中で、

お互いがお互いのために居ることの、

理想と現実や

相手を尊敬することの意味や

自分の意思をちゃんと伝えることの大切さを

学んでいくことが出来ました。


そして、この家族という安心感に満たされた場所を創りあげるその経験から

本当に僕が求めていたのは徐々に前々から薄々感じていたこと、

この世界が自分が生きていく上で本当に幸せで満たされていると言える場所であること、

僕はずっとそれを欲しがっていたんだということが分かったんです。


僕が音楽を好きな理由もそうだったんです。


そのための音楽を作ろうと昔に思ったことを思い出しました。


音楽だけではありません。


僕自身がこの世界に存在する理由は、

この世界を僕がどれだけ愛することが出来るか、

ということでもあるんです。


目を閉じてきた部分もたくさんあります。


耳を塞いできた部分もたくさんあります。


こんなもんだろう?って自分に言い聞かせようとしてきたこともたくさんあります。


この先自分の手の届かない場所なんていっぱいあります。


でも、自分の生きるこの世界で

その時自分に出来ることがあるなら、それを全部やっていかないと、

その時の自分はいつまでたっても「後悔」の二文字に追いかけられることになるんです。


少なくとも自分という人間はそうなんだなぁということが分かったんです。


こういう生き方をしてきたからなのかも分かりませんが、

僕は人として相当ピュアな部類に入ると思います。


人がどう言おうが自分が気になった事はやってみるんです。


そして自分なりの答えを見つけてから次を目指すという具合です。


そんな僕がこの世界へ今年最初に言いたい事は、

もっとみんな好きに生きよう!ということです。


例えば他人を攻撃ばかりしてしまうような人には、

それが結局自分に返ってくるということを、

素直に伝えられる自分がそこに居ればいいかなぁと思うんです。


だからもっともっと好きに生きればいいと思うんです。


僕もたくさんいろんな人から学ばせてもらいました。


きっとこれからもそうです。


だからって縮こまっていたら時間だけがどんどん過ぎていきます。


新しい時代を自分で創っていくことに、

この新しい節目はピッタリだと思った次第です。


この一年がみなさんにとって最高の一年になりますように。