幸運にも幾度となく経験することが出来た方ではないかと思います。
小学校が三回変わっている僕は、
イジメにもあったことがあるものの、
三度目の学校では運良く周りと上手く仲良く過ごすことが出来たり、
思春期からバンドを組んで音楽にのめり込むことが出来たり、
二十歳過ぎの頃には、
サーフィンを通して生きる価値を学ばせてもらえる先輩方に恵まれたり、
三十歳を過ぎて大自然と共生する生き方を実践されている方々に
いろいろと教えて頂く機会に恵まれたり、
四十歳を過ぎてこんな生き方をしている自分を理解してくれる妻に出会えたり、
もちろん細かいところでいろいろと悩んで、
死を考えたこともありますが、
何時もそこを打ち破ることが出来る巡り会わせを頂いて、
この今日という一日を生きることが出来ています。
今まで自分に正直に生きることしかしてこなかった僕は、
完全にお金を使いきって、
借金して生きていたこともあります。
その頃、多少卑屈な自分と向き合いつつも、
そんなことも気にせず面白がって一緒に過ごしてくれる人々が居てくれました。
こう言って話しを進めていくと、
自分自身を肯定しまくっているだけのように捉えられてしまうかもしれませんが、
今思い出しても未だに悔しくなる出来事や、申し訳なくて言葉に出来ない出来事も、
目茶苦茶たくさんあります。
ただそれらがあったことで今の自分になったという意味で、
否定も肯定もせずに自分の過去として受け入れられるようになりました。
そういう自分を見てみた時に、
恐らく他の多くの人も同じように
自分の過去にいろんな感情が沸き起こって来るのではないかと想像出来ます。
絶対人には言えない、言いたくない出来事を一人で抱えていたとしても、
今ここに居て明日へ向かって精一杯生きているということは、
皆同じなのではないかと思うのです。
それらを忘れてしまおうとしても、僕は無理だと思ったので、
そういう自分がそれらによって得た反動が自分を突き動かしている事実を受け止めて、
これから少しでも学んだことを活かして生きていく、というふうに決めたのでした。
そしてこの想いは自分の歴史を振り返るのと同じように、
この国の、人の歴史を、同じように振り返ってみたときに、
新たな未来へ向けて自分の足元を照らす一筋の光をもたらすように思いました。
ここ最近の日本というと、
正しき道を指し示すべき立場の人が率先して私腹を肥やすために嘘をついたり、
弱い人たちがさらに自分より弱い立場の人を叩いていたり、
対立を煽られてすぐ隣の人に対して敵対心を持ったり、
自分の心の不安を何か他のせいにして
自分から出て来るネガティブなものを平気でぶちまけてみたり、
例え以前からそういった闇の部分があったとしても、
またそれらに対してもう少し大らかな優しさで諭そうとしていた雰囲気も消えて、
過激に噴出して、またそれらに対して大きく反発が起きて来ているのが目につきます。
僕が思うにこれらは日本という国が辿って来た歴史の歪みが、
その歪み自身の反発によって不自然さを振り払っているように思えてなりません。
僕自身が僕の歴史を一回り大きな視点で捉えることで、
ニュートラルな自分を取り戻して
未来を明るく見つめることが出来るようになったように、
この日本も過去を乗り越えて
新しく日の出ずる国として立ち直ろうとしているところなのではないかと思っています。
そのために僕が僕自身に出来ること、
常に自分の胸に聞いて正しいと感じることのみ行っていくことが、
大切だと思うのです。
誰か他の人が言っていることやどこかで聞いたことは
自分自身を肯定しまくっているだけのように捉えられてしまうかもしれませんが、
今思い出しても未だに悔しくなる出来事や、申し訳なくて言葉に出来ない出来事も、
目茶苦茶たくさんあります。
ただそれらがあったことで今の自分になったという意味で、
否定も肯定もせずに自分の過去として受け入れられるようになりました。
そういう自分を見てみた時に、
恐らく他の多くの人も同じように
自分の過去にいろんな感情が沸き起こって来るのではないかと想像出来ます。
絶対人には言えない、言いたくない出来事を一人で抱えていたとしても、
今ここに居て明日へ向かって精一杯生きているということは、
皆同じなのではないかと思うのです。
それらを忘れてしまおうとしても、僕は無理だと思ったので、
そういう自分がそれらによって得た反動が自分を突き動かしている事実を受け止めて、
これから少しでも学んだことを活かして生きていく、というふうに決めたのでした。
そしてこの想いは自分の歴史を振り返るのと同じように、
この国の、人の歴史を、同じように振り返ってみたときに、
新たな未来へ向けて自分の足元を照らす一筋の光をもたらすように思いました。
ここ最近の日本というと、
正しき道を指し示すべき立場の人が率先して私腹を肥やすために嘘をついたり、
弱い人たちがさらに自分より弱い立場の人を叩いていたり、
対立を煽られてすぐ隣の人に対して敵対心を持ったり、
自分の心の不安を何か他のせいにして
自分から出て来るネガティブなものを平気でぶちまけてみたり、
例え以前からそういった闇の部分があったとしても、
またそれらに対してもう少し大らかな優しさで諭そうとしていた雰囲気も消えて、
過激に噴出して、またそれらに対して大きく反発が起きて来ているのが目につきます。
僕が思うにこれらは日本という国が辿って来た歴史の歪みが、
その歪み自身の反発によって不自然さを振り払っているように思えてなりません。
僕自身が僕の歴史を一回り大きな視点で捉えることで、
ニュートラルな自分を取り戻して
未来を明るく見つめることが出来るようになったように、
この日本も過去を乗り越えて
新しく日の出ずる国として立ち直ろうとしているところなのではないかと思っています。
そのために僕が僕自身に出来ること、
常に自分の胸に聞いて正しいと感じることのみ行っていくことが、
大切だと思うのです。
誰か他の人が言っていることやどこかで聞いたことは
一旦横へ置いて自分はどう思っているのかに、正直になることが大切です。
その時感情的にニュートラルになれていて、
嘘の無い状態であればその想いは本物だと確信していいでしょう。
それが本当の誇りだと思います。
僕はこの国に生まれた一人として、
誇りを取り戻したいと思っています。
僕は誰かが幸せになるために他の誰かが犠牲になるような社会のあり方を
これから少しでも改善していくことを積み重ねていこうと思います。
これまでの辛かった過去は、
それを教えてくれたのだと思っています。
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