2018年8月27日月曜日

日の出ずる国の民の一人として

僕はこの国に生まれて良かったと思う事を、

幸運にも幾度となく経験することが出来た方ではないかと思います。


小学校が三回変わっている僕は、

イジメにもあったことがあるものの、

三度目の学校では運良く周りと上手く仲良く過ごすことが出来たり、

思春期からバンドを組んで音楽にのめり込むことが出来たり、

二十歳過ぎの頃には、

サーフィンを通して生きる価値を学ばせてもらえる先輩方に恵まれたり、

三十歳を過ぎて大自然と共生する生き方を実践されている方々に

いろいろと教えて頂く機会に恵まれたり、

四十歳を過ぎてこんな生き方をしている自分を理解してくれる妻に出会えたり、

もちろん細かいところでいろいろと悩んで、

死を考えたこともありますが、

何時もそこを打ち破ることが出来る巡り会わせを頂いて、

この今日という一日を生きることが出来ています。


今まで自分に正直に生きることしかしてこなかった僕は、

完全にお金を使いきって、

借金して生きていたこともあります。


その頃、多少卑屈な自分と向き合いつつも、

そんなことも気にせず面白がって一緒に過ごしてくれる人々が居てくれました。


こう言って話しを進めていくと、

自分自身を肯定しまくっているだけのように捉えられてしまうかもしれませんが、

今思い出しても未だに悔しくなる出来事や、申し訳なくて言葉に出来ない出来事も、

目茶苦茶たくさんあります。


ただそれらがあったことで今の自分になったという意味で、

否定も肯定もせずに自分の過去として受け入れられるようになりました。


そういう自分を見てみた時に、

恐らく他の多くの人も同じように

自分の過去にいろんな感情が沸き起こって来るのではないかと想像出来ます。


絶対人には言えない、言いたくない出来事を一人で抱えていたとしても、

今ここに居て明日へ向かって精一杯生きているということは、

皆同じなのではないかと思うのです。


それらを忘れてしまおうとしても、僕は無理だと思ったので、

そういう自分がそれらによって得た反動が自分を突き動かしている事実を受け止めて、

これから少しでも学んだことを活かして生きていく、というふうに決めたのでした。


そしてこの想いは自分の歴史を振り返るのと同じように、

この国の、人の歴史を、同じように振り返ってみたときに、

新たな未来へ向けて自分の足元を照らす一筋の光をもたらすように思いました。


ここ最近の日本というと、

正しき道を指し示すべき立場の人が率先して私腹を肥やすために嘘をついたり、

弱い人たちがさらに自分より弱い立場の人を叩いていたり、

対立を煽られてすぐ隣の人に対して敵対心を持ったり、

自分の心の不安を何か他のせいにして

自分から出て来るネガティブなものを平気でぶちまけてみたり、

例え以前からそういった闇の部分があったとしても、

またそれらに対してもう少し大らかな優しさで諭そうとしていた雰囲気も消えて、

過激に噴出して、またそれらに対して大きく反発が起きて来ているのが目につきます。


僕が思うにこれらは日本という国が辿って来た歴史の歪みが、

その歪み自身の反発によって不自然さを振り払っているように思えてなりません。


僕自身が僕の歴史を一回り大きな視点で捉えることで、

ニュートラルな自分を取り戻して

未来を明るく見つめることが出来るようになったように、

この日本も過去を乗り越えて

新しく日の出ずる国として立ち直ろうとしているところなのではないかと思っています。


そのために僕が僕自身に出来ること、

常に自分の胸に聞いて正しいと感じることのみ行っていくことが、

大切だと思うのです。


誰か他の人が言っていることやどこかで聞いたことは

一旦横へ置いて自分はどう思っているのかに、正直になることが大切です。


その時感情的にニュートラルになれていて、

嘘の無い状態であればその想いは本物だと確信していいでしょう。


それが本当の誇りだと思います。


僕はこの国に生まれた一人として、

誇りを取り戻したいと思っています。


僕は誰かが幸せになるために他の誰かが犠牲になるような社会のあり方を

これから少しでも改善していくことを積み重ねていこうと思います。


これまでの辛かった過去は、

それを教えてくれたのだと思っています。



2018年8月11日土曜日

決まり事と自分の間にあるもの

法律や条例、ルールやマナーなど、僕らの周りには多くの決まりごとがあります。


そういった決まり事は、僕らが集団生活を送る上で

揉め事が起こらないようにするためにはとても大事なことだと思います。


ここ最近周りを見回してみると、

なぜかそういった決まり事が上手く機能していないように感じることが増えています。


当たり前のように守る気がない人が居たり、

そういった人が居ることで、決まり事を守ることだけに重きを置きすぎて

その奥にある人と人との関係性を上手く築くことができない人が居たりして、

多くの人が世知辛い想いをしている場面を目にする機会が増えています。


例えばそういった時代の流れの中で新しい感覚が芽生えて来る時なのだとしても、

なにか基準になるものを持てていれば、通り過ぎていくそれらの事象に出会っても、

自分の人生にプラスに出来る事があるのではないでしょうか。


まず決まり事は、出来上がった背景というものが必ずあります。


多くの場合、争いごとを少なくすることが目的ではないでしょうか。


多くの命が生きている世の中、

なるべく公平、公正に皆が生きられるようにするということが、

決まり事を作ってきた人の歴史ではないかと思うのです。


ただ時代が進むにつれ、多くの文化が合わさって、

ある時代からは考えられなかったような変化が起きる時

それまでの決まり事では追いつかないように思う人が多くなるのではないでしょうか。


そんな中で決まり事さえ守る気がない人が現われたり、

決まり事に縛られて心に余裕がない人が現われてくるのだと思います。


例えば決まり事を守る気がない人というのは、

その地域や場所に於いて、自らを危険にさらしていることもあるので、

どこかでそこに気づかなければ命さえ落としかねません。


とても小さなことだったとしてもそれは蓄積されて本人に危険として現れて来ます。


決まりを守ることで安全を手に入れやすくすることを学ぶために

命を賭けるようなことになる前に理解できれば御の字です。


またその逆で、そのような危険を避けたいがために、

決まりを守ることにがんじがらめになってしまっている人も多く居ます。


今の日本にはこのタイプの人が非常に多いように感じます。


このような人は心に余裕が無くて、

本当には迫ってもいない危険にパニックになってしまいます。


そして心に余裕が無いことから、

周りが良く見えていない状態になっていることが多く、

逆に危険にさらされてしまっていることに気づいていない事が多くあります。


決まりさえ守っていれば安心してしまうような状態です。


少しの変化を捉えることが出来ず、冷静な判断をすることができません。


常に物事は絶えず変化をしていて、そこには多くのサインが現われています。


急に現れて消えていくものなどは一つも無く、

危険がこちらへ向かってくる方向が何処からなのかを見定めることが出来れば、

そこを避けるだけで危険は無くなります。


それでも100%避けられない可能性があるために決まり事がある、

というぐらいに捉えておくのが良いのではないでしょうか。


そうでなければどんどん決まり事を作ってはそれに縛られて、

人としてのおおらかさを持つことは出来なくなってしまうでしょう。


決まり事というものが、

命を守るということは決してありません。


決まり事を守っていくなかで、

危険を遠ざけることが出来るようになっていきます。


ただ、決まり事を守れないことが危険を呼び込むのではなく、

お互いを想い合う心が欠けて危険に繋がるのだということを理解しなくてはなりません。


僕は正直言うと、

このお互いを想い合う心があれば、決まり事などなくてもいいのに、

と思っていて、

何かと争いごとになる場面にあっても、

そんなに片方を正当化する必要など無いのになぁ、と思うことがとても多くあります。


安全か否か、または損か得か、を血眼になって争い合う人たちが

得ていると思っているものから、何を得て何を失っているのか、

当の本人たちは近すぎてよく見えていないなんてことがあるように思えてなりません。


本当に良いことというのは、

どちらか一方だけに作用するものではなくて、あらゆる方向に良さが伝播していきます。


そしてそういうものは、どこかから得られるものではなくて、

内側から湧き出てくるものなので、

誰かが損をしたり得をしたりするものではありません。


それは確かに安全である所に於いて得られるものではありますが、

安全がそれらを作り出すのではなくて、

それらを作り出すことが安全を生み出していくことを知る必要があります。


決まり事とはその補完的要素に過ぎません。


まだまだ時代が動き始めたばかりで、

もう少し決まり事のお世話になる必要があるかもしれませんが、

基本僕には必要ありません。


それよりも僕は想い合う心を研ぎ澄ますことの訓練中です。


まだ凹むことが多いですが、僕を縛るもののお世話にならない生き方を目指しています。


いつの日かそんな世界が広がることを、夢見て。