2017年12月11日月曜日

時代が変わるということ

今年も師走に入ってだんだんとやることが増えて来ました。


今年の内に済ませておきたいことと、

来年に向けての準備と、

やはり年が変わるという節目を、

なるべく良い状況で迎えたい、

そういう思いがこの忙しさを作っているのでしょうか。


世間に目を向けてみても、

良くも悪くも賑やかに、

移り変わりの節目へ向かって物事が動いているように感じます。


そんな移り変わりを大きな時代の変化という観点で捉えてみると、

世間のワサワサした雰囲気の中からも、

自らの進むべき道が見えてくるのではないかなぁと思います。


最近は本当に物事の移り変わりが早くて、

この間まで何でも無かったような物事が、

いつの間にか普通に生活の中に取り込まれていたりして、

新しい時代がやってくるという感覚を

ワクワクしながら感じているのは、

僕だけでは無いと思います。


でも新しい時代に今までのそれと

違いを感じる人もいれば、

感じない人もいるのではないかと思います。


例えば自分の人生に置き換えて変化を見た時、

ある時点で自分の子供時代が終わったと感じていますが、

未だに子供っぽさを残した自分自身も見ることが出来ます。


でも新しくなるということは、

例えば今上げた子供っぽい自分と

それを卒業していると感じている自分が、

新しいバランスの取り方で共存していくような、

そんな感覚で捉えられるのではないかと思います。


実際僕自身が今そのように変化をしていっていると感じていて、

少なくとも今までの自分に一区切りつけられる、

新しい時代が来ていると言えます。


でもこういう変化が僕だけではなくて、

別の多くの人からも感じるので、

世界という規模で変わって行くのも時間の問題ではないでしょうか。


変化自体を自ら求めていたというのがあったとしても、

ある時は受け入れ難い状況の中から、

ある時は何事も無く、

変化することが決まっているかのようにタイミング良く切り替わって、

またその変化の訪れるペースが上がっていることもからも、

この時期に変わって行くことが

個人を超えた特別な意味を持っているように感じています。


時代が変わるというと、

どうしても良くなってほしい部分の方向で考えてしまいますが、

良い部分も悪い部分も合わせて両極を理解していくことで、

それら全体を統合していく中に変化が生まれて来ます。


なので浮足だった状態で未来へぼんやりと期待しているだけでは、

両極が渦巻く大きな力に

翻弄されてしまいます。


本当に目指したい未来のためには、

今自分は何をすればそこへ向かっていくのか、

という視点を持つことで足元をしっかりさせることが出来ます。


まずはザックりとした未来へのビジョンを作ったら、

そこへ向けて一つづつ出来ることを積み重ねていく事が大切だと思います。


自分のビジョンに直接関係無いような事や、

あまり先のことに囚われないようにしながら、

今目の前にあることに集中するようにしていても、

それでも飛び込んでくる何かしらのニュースは、

未来へ向けて時代が大きく変わっていく流れを
感じさせてくれるでしょう。


多くの人がそのように感じることが、

三次元的に形としてそのように現れてくるだけなのかもしれません。


未来というものは不確定要素の固まりなので、

だからこそどんな未来にしたいか、

という思いを持つことから

作られていくようになるのです。


そして本当にそれを実現する手段は、

どんな未来を通っていくとしてもその状況に対応して

自分のやりたいことをキッチリやっていく強さを持つことです。


まさにその行為が新しい時代を作っていきます。


そして今僕自身が

時代が変わって行ってると肌で感じるのは、

そのように自分の進むべき道を自ら歩んでいく人達が

様々なシチュエーションの中に現れて来ているのが見えるからです。


ある時代が終わるといっても、

新しい時代は確実に以前の時代を越えて来るので、

丸っきり変わらないように見える側面もあるでしょう。


でも目には見えない部分は、

確実に変わっています。


今まで目に触れ難かった物事が人の目に触れるようになって、

そこから感じることをまた多くの人とシェア出来るようになって、

今まで一辺倒だった価値観がどんどん多様化しています。


そこからまた共通の部分が見えて来ると、

その輪は瞬く間に広がります。


その変化して行く方向と、

そこから感じることと、

それらを一歩退いて見る視点を意識できれば、

多くの人との関係性が新しく出来上がっていくようになります。


そこには普遍性のある言葉を越えた何かがあって、

例えば「愛」というものであっても、

自分にとってそれが何なのかということが

だんだんと明確になっていくでしょう。


例えばルールやマナーなどといったものも、

現時点でも必要があって

言葉に託されているだけのことです。


まず尊い人と人があって、

全く違う世界観を持つものとして、

上手くお互いを尊重するための

道具として存在しているだけです。


そしてその道具を上手く使って、

お互いを最大限尊重するようにしてみると、

言葉を越えたものが必ず見えて来るようになります。


それはもう既にある尊い存在としての、

自分に気づくだけなんですが、

それが最初からすぐに見えない現代の状況は、

その見えないものの扱い方を

間違えたくないという思いから来ているように感じます。


誰もが自分自身を尊い存在として扱って欲しいと感じています。


それと同じく周りへとその扱いを広げていく時に、

勘違いなどから相手も自分も傷ついた時代を経て、

閉ざしてしまった部分があるのです。


少なくとも僕自身は

そういった時代を経て、

新しい感覚を持って、

改めて心を開いて生きたいと、

もう気持ちを切り替えることにしました。


この時期に出会ういろんな人との関わりや、

自分の経験から感じたことが

もう閉ざすのは違うんだと、

ぐいぐい自分を押し出してくれているように感じています。


開いていく流れに乗りはじめている今は、

視野も広くなってきていて、

以前はこういう時はこういう風にするのが良いと信じていたことも、

その場その場に対応して、

新しいやり方方を考えるゆとりが

自分の中に生まれて来ています。


本当にこれから何でも新しく作り上げていく事で、

時代が出来ていくという感覚です。


待っていても何も起こりません。


僕は僕の未来を僕の手で

作り上げていく、

ただそれだけの事を普通にやっていこうと思うようになった、

そういう時代が始まっています。



0 件のコメント:

コメントを投稿