2019年10月1日火曜日

家族という絆

どうも最近、親との関係性で悩んでしまう人達の言葉が気になっていたので、

そういう事で中々前に進んでいけない人へ向けて、

今年に入って僕が経験した、親との別れについて記したいと思います。


今年の春、僕の父が他界しました。


その何か月か前に母から連絡がありました。

「もうお父さんも長くはないってお医者さんに言われたから。」


その時の僕は、親とも年賀状のやり取り以外ほとんど話しもしない状況でした。


父は何年か前から痴呆が出ていて母が一人で介抱していたような状況でした。


僕は正直に言うと、

この人生を持ってして親に仕返しをしてやろうと子供の頃に誓ったことがあります。


僕が小学生の時点で

父には僕の本当の気持ちを一切話さないと決めた出来事が何度もありました。


父が機嫌が悪いと、

酒に酔って誰かに八つ当たりが来るのですが、

それをいかに避けるかのために僕の人生は大きく歪んでいきました。


母はそれを良く思っていなかったのは見て取れましたが

決して父を諫めるようなことはしませんでした。


ただそれを母なりに

「どうしたらいいの?」

という悩み事として僕に話してくるので、

いつも僕がそれを慰めていたのでした。


僕から見ても大人気ない父の我がままっぷりは、

普段は立派な男としての父からは想像が出来ません。


人にはいろんな側面がある、ということで理解しようとしても、

人として完全に否定されるような事を親からされたら、

それを受け止めるなんてことは天と地がひっくり返るような出来事になっているのです。


それでも僕は親を大切にしたいと、

お寺に通ったりして自分の考えを何とか改めたいと思っていました。


父も母も年を重ねて身体が弱くなっていく中で、

何とか打ち解けて和解したいと、色々試していました。


ただ、僕の中では、

両親に一言、謝って欲しいと思っている部分は黙っていました。


だんだん両親が物忘れが激しくなって来だすと、

イラついて来るようになるのでしょう、

言葉遣いが粗くなってくることが増えてきました。


僕はそのようになってからも、

食べ物をなるべくナチュラルなものへ変えるように提言していましたが、

返って来る答えは

「良く分からないからいい。」というものでした。


そんな中、

あることに気が付いて来ました。


自分で自分をコントロール出来なくなってしまう前に、

自分の我がままで相手を傷つけることのないように

ちゃんと自分を整えることを放棄してしまった人が、

成るようになっていってる様を見せてもらっているという側面です。


自分で考えて何をするべきかを、

放棄してしまった人が辿るべき道がそこで展開していました。


段々僕が何を言っても

「うるさい!」とか言うようになって来ると

昔受けた心の傷が疼くようになり、

また心が離れていくようになりました。


そして、その頃に父の死期が近づいたとの連絡でした。


僕は何とも言えない気持ちになり、

改めて父へ取り敢えずでも「ありがとう。」と伝えた方がいいのではないかと思い、

母へそのように言いました。


その時母はこう言いました。


「あの人は会いたくないって思ってるわ。」



この一言が僕にとって全てでした。


いろんなことが読み取れます。


母が一人で苦労してきたこと。


それを皮肉めいた言い方をしてしまう母の幼稚さ。


そして僕に対する怒り。


「死」という一つの終わりがそこに見えた段階に於いても、

敵対するという手段を取ってしまった母が

乗り越えなければならなかった人としての試練を、

僕からの努力だけでは成立しない親子関係として自らの言葉で作ってしまったのでした。


それから後は、

僕が父や母からどれだけ謝って欲しかったか

という思いが堰を切ったかのように溢れてきましたが、

もう手遅れでした。


母はもう僕の言うことに、

一切耳を貸さなくなっていきました。


それまで父から受けたものが自分の方が辛かったということを

僕に言うようになってきました。


その時僕はやっと

母から受けていた身体的ではない、心の暴力に気が付いたのでした。


母の皮肉めいた嫌らしさは、

そう言えば昔から僕に無言の圧力を与えて来ていました。


それに気が付いた僕は、

僕の理想の一つだった親と子供の関係を捨ててしまおうと決めました。


人間関係というものは、

両方からの歩み寄りによって発展維持できるもので、

片方だけの努力で出来上がるものではありません。


それは血を分けた親子であっても、

同じということが完全に理解できたのでした。


例えばもう少し前の時点で僕の側から何か出来ることがあったのかもしれません。


でも実際にそのように出来なかったいろんな事情があります。


もしもそれが魂的に未熟が故にそうだったとしても、

それはそれでもう今さら悔やんだところでどうすることも出来ない現在にいるのです。


ならば、その未熟なままの自分を素直に認めて、

出来ないことにエネルギーを使うより、

今ある大切にしたいものに精一杯エネルギーを使った方が

心が晴れやかに開いてくることが分かったのです。


理想というものが妄想となって

自分の自由な現実を妨げてしまっているなら、

そんな理想は捨ててしまった方が自分が輝き始めることもあるんです。


この経験は僕を

この混沌とした現実世界の中から抜け出させました。


理想は理想として掲げてそれに向かっていくのは多いに結構なことですが、

それに縛られて心が塞ぎ込んでしまうとしたら、

その理想は自分には合っていないという事として別の理想を描いてしまえばいいのです。


一つの理想を手放して後悔するとして、

その経験を経て次の理想へと向かって行けばいいのです。


綺麗事だけでは済まない世界を身を持って体験し、

そこからもう一度真っ直ぐ前を向いて歩いて行くことに決めたのです。


僕はこの夏に裁判所を通じて

相続放棄という手続きを踏んで、

親の連絡先を一切消しました。


その手続きが終了すると同時に大きなものが吹っ切れて

本当に心が軽くなりました。


世間的に見たら親子関係が上手く行かなかった人ですが、

それはそれで別に大したことでは無いと言えるようになりました。


似たような綺麗事で自分を縛り付けてしまっていることがとても多くありましたが、

どれも大したことではありません。


相手が未熟であったとして、

それを大目に見ることが魂の成長に必要なのだとしたら、

それと同じように

自分の未熟なところも大目に見てあげて、

相手を思う存分に嫌ってても

それが必要なのだからそれを変える必要はないんです。


胸を張って「あいつがキライ!」でいいんです。


たとえばそれが唯一の親と子供の関係だったとしても。


お蔭様で今の僕は本当に

毎日がスッキリした気分で送れています。


今、僕が大切にするべき家族が僕にはあります。


それは僕だけではなく相手もこの関係を大切にしようとしてくれているその気持ちが

この家族を家族として維持できている最大の要因です。


大切にしなければいけないのではなく、

大切にしたいと思う気持ちがお互いを繋ぎとめている、

自らの内側から出てきているものの現れが今ここに在るということを

実感しているかどうかが大切だと思うのです。









2019年8月27日火曜日

隠すという美学

夏も終わりが近づいて朝夕は涼しくなって来ました。


実は僕はというとお盆を過ぎた頃から、

アレルギー反応が顔に出てしまい、

左目の周りが物凄く腫れるという事が起こりました。


もう今は腫れも退いて、

薄く皮膚がかさぶたになったのが

取れていくのを待つだけの状態になっています。


何が原因で、ということで考えると、

お盆休み明けで仕事場に皆さんが持ち寄った

お菓子の中に何か自分に合わないものがあったところに、

夏の暑さに内臓が少し弱っていたことが

複合的に合わさったのかなぁと、思っています。


実際普段の食事は産地や添加物なども気にして

ほぼビーガンとしての食を摂っているので、

最初まぶたが腫れた時は、

ものもらいになったのだと思っていました。


でも、パンパンに腫れ上がった左まぶたに

とてつもない痒みが走り始めて、

「これはまずいなぁ。」と思いました。


何をしても治まらない痒さは触れば触るだけ、

まぶたを腫れ上がらせてしまいます。


どんどん変わっていく自分の顔に、

考えたくない妄想はどんどん膨らんでしまいます。


でも、日常は普通に過ぎて行きました。


時間帯によって痒みが治まっている時もあって、

そんな時は比較的腫れも退くので、

少し気持ちも落ち着くのですが、


もうどうしようもない痒さが何分も続くと、

どうしても触ってしまい、

また腫れ上がって、

痒みに対するイライラと、

顔が腫れ上がる不安に押し潰されてしまいそうでした。


周りの人達には、

余り心配をかけないように振る舞っていましたが、

奥さんには、

やっぱり伝わってしまう部分があって、

それを何とか出来なければ、

もしこの症状が長引いた場合、

お互いの関係性に良くないと感じ始めていました。


今まで何か身体に良くないものが入って来た場合、

とにかくお腹を壊すという事で、

対処出来ていた部分があったのですが、

今回の出来事では完全に心が凹んでしまいそうになりました。


そこからいろんな不安が妄想を呼び起こして、

自分の中に潜むネガティブな感覚がどんどん自分を飲み込んでいきそうになりました。


気を使ってくれる奥さんにも

これ以上不憫な思いをさせないようにするには、

今の状況をどうにか捉え直して、

自分が感じることをどう表に出していくのかを見直す必要が出てきました。


そんな時、

「どれだけネガティブなものを振り撒いたところで、

この痒さは軽くならないし顔もヤバイまんまだし、

何より人としてカッコ悪い。」

という思いでした。


そこで、自分の中に湧いてくる負の感情を上手に「隠す」にはどうするのがいいだろう?

という考えが浮かんできました。


ちょうど今月のあたまに、

人間性を隠していく過程に人としての格好良さが現れるところに興味を抱いて

そんなものの見方を研究していた矢先でした。


いろんな物事がオープンになって行くこのご時世に、

昔の侍や着物を着た女性などから感じる神秘的な格好良さに感じるものがあって、

何か最近少し違う視点が必要なのではないかと感じていたのです。


どんどんこの世界がオープンに成るにつれて混沌としていく様子を見ていて、

オープンにするだけではまとまらないのであれば、

昔の武将が多くを語らないあの神秘性が何かヒントになるかもしれないと思ったのです。


確かに今まで無かったことにされていた思いや、

無いものとして扱われていた人達などが、

明るい日の本へ現れる事で、

新しい視点をもたらして、

少しずつ開かれた明るい世界へと

向かって行くのは確かなことです。


ただ、それは自分の外側で起こる事象に於いてと、

内側の感覚に於いてと少し別けて考える必要があると感じていました。


事象として起こる出来事は、

多くの人がその出来事から自由に学ぶことが出来るよう、

オープンになって行く事はとても大切です。


でも、そこから感じる事をどう表現するのか、に於いて、

何を言ってもいいわけではありませんし、

自分が居る環境の中で表現された後それがどう影響するのかによって、

「隠す」事も含めて考えなければならなくなります。


感じたことを表に出すことで何が変化していくのかを見極められるようになって来たら、

その出し方によって周りがどう変わっていくのかを良く見ておくと、

全てを出す必要が無いと分かって来るようになります。


出しても変わらない場合は、

出さない方がいいという事がとても多くあるのです。


出してすっきりする、

という事は多いのですが、

それが次の何かを巻き起こす原因を作り出します。


もしも自分の蒔いた種が自分が思うよりネガティブなものだったりすると

自分で刈り取るだけで多くの時間を費やしてしまいます。


そしてその結果が思わぬ方向へと自分を引っ張って行ってしまうことが

多くあるように思います。


思っていることを表に出したところで

大きく何も変わらないということを前もってイメージ出来たとしたら、

自分の感じていることをごまかすのではなく、

「隠す」という手段があるのです。


この「隠す」という行為はごまかすのとは違って、

自分の感じていることを意識したままそれをそっと仕舞う所作に意識を置くので、

自分が成長していっていることをその時に感じるために、

鬱憤がたまったりすることには繋がっていかないんです。


僕自身どちらかというと、

自分をどう表現するかということに重きを置いて生きて来ていたため

「隠す」ということと、ごまかすということの違いが良く分かっていませんでした。


ただ今回のアレルギー症状で出てきた

自分のネガティビティをどうにか抑えたいと本気で考えた時に、

我慢をしたりごまかしたりするだけでは絶対に持たないと思った時に、

「隠す」美学について自分なりに考えていたことを、

実践するちょうど良い機会となったのでした。


もちろんいきなり上手くはできませんでしたが、

刀を鞘に納めているかのような感覚で、

自分の感じていることをそっと仕舞っておく感じが

とても大人に成れていっている実感と共にあったのでした。


この感覚をもっと別の場面にも当てはめていければ、

不必要な表現から生まれて来る結果にエネルギーを消費させずに、

必要な表現に集中していけるようになると感じたのでした。


今年に入ってから実にいろんなことが起っていますが、

その中でも今回アレルギー反応で顔が腫れたことで感じた

自分自身の変化はこれから先の自分にとって

必ず良い方向へと向かう変化になったと確信しています。


昔の武将が伝説として語り継がれるているような、

研ぎ澄まされた格好良さは「隠す」美学を意識していけば

かなり近づくことが出来るでしょう。


そうすれば混沌としたこの日本も

本当に美しさを取り戻していくのではないでしょうか。


まだまだ気づいたばかりで実践が浅いですが

もうその生き方を始めることが出来ました。


日本画に描かれるような人に成っていきたいですね。






2019年7月29日月曜日

「空」

ある所に物事を変幻自在な角度から見る事ができる人がいました。


その人が生きる上で本当に必要な知恵とは何なのだろうかと深く考えていたある時、

この世界を構成する物事は悠久の時間で考えれば

全ていつかは形を変えて無くなってしまうということの真意に気づいて、

それならば初めから大した意味など無いと思っても同じことではないだろうか、

と思いました。


そうするとそれまで色々と思い悩んでいたことなども、

どうせいつか無くなってしまうものを悩む必要があるのだろうかと思えて、

見る見るうちに悩みごとは消えて無くなってしまいました。


そしてこう言いました。


よく聞いてくれ。


物事というのは何時か必ず消えて無くなってしまうものなんだ。


僕自身や僕の言った言葉、僕の思ったことも、いつか形を変えてしまうし、

無くなってしまうだろう。


そこにあると思っていることも何時か無くなるのに、

その意味は何なのか一生懸命考えては思い悩んでいる、

そういったこと自体を悠久の時の流れの中で見てみれば、

大した意味など無いと思わないか?


もちろんいろんな出来事に出会ってはいろんなことを感じて、

それによって悲しくなったり、楽しくなったりもするだろう。


でもそういう場面があったとしてもそれも一過性のものなんだ。


大した意味は無いと思えるかどうかだ。


今目の前で起こるものごとが全てであるかのように感じることもあるかもしれないが、

それも時が経てば感じ方も変わってしまうしもっと言えば忘れてしまうだろう。


覚えていることがあったとしてもそれはただの記憶でしかないし、

それが今の自分を本当の意味でどうのこうの変えられるものじゃない。


大した意味は無いのにとても大きな意味があってそれが自分をどうにかしてしまうように

思ってしまっているだけなんだ。


例えばそれを深いところで理解できたからと言って、

意味の無いできごとが無くなる訳じゃない。


悲しい出来事は起こるだろうし、楽しいことを追い求める気持ちも止まないだろう。


そしてそういう心の動きを誘う物事が起きてしまうとしても

それらはこの世界に於いて

決して元から汚らわしいものだったり素晴らしいものだったりするのではないし、

増やしたり減らしたりできるものでもない。


それぞれが思い思いに行動するのだし、

そのことに始めから意味など無いしそれを理解できている人さえ居ないのだから。


このように大した意味など無いものに意味を持たせているのが

自分の意識なのだとしたら、

そういう風に世界を捉えなおしてみれば、

見えるもの、聞こえるもの、香るもの、味わうもの、感じるもの、意識するものでさえ、

自分のその時の好き嫌いで意味があるように捉えて何が大切かなんて、

全く無意味なことだと気が付くはずなんだ。


それに気づくことが出来れば、

ちょっと分からないことに不安になって落ち着きが無くなったりすることも無いし、

かと言って分からないものごとが無くなる訳でもないし、

どうしたらいいのか分からないまま

どんどん年だけ重ねていくことに気を取られることもないし、

そのまま死んでいくかも知れなくても気にすることもないし、

それにそうやって年を重ねるしかないし、

何時かは死んでしまうということに変わりはない。


僕らが思い悩むことはどんどん出てきて無くならないし、

その一つに当てはまる答えが分かったとろで大した意味は無いし、

それによって得ることも大した意味は無い。


こういう風に悠久の流れの中で

ものごとが変化しているだけだということを理解してしまえば、

心は無邪気なままでいて何の問題も無いのが分かるし、

無邪気でいれば何かを恐れて不安に苛まれることも無いし、

不安が変な考えを引き起こして間違った方向へ進んでしまうことも無くなる。


そうすればいつも前向きな心で居られるだろ?


現在、過去、未来っていう時間の中に、素晴らしいものが出来上がるんじゃなくて、

何も大した意味なんか与えなければ、これからもそれは変わることは無い、

そのことを理解出来たらそれで十分ということなんだよ。



何かもの凄い事を理解する必要はない。

それ以上ではないしそれ以下でもない。


今、自分の思うままにすればいいと言うのはそういうことなんだよ。


それに別の何か大きな意味を与える必要はないし、変わりっこないんだ。


どうせいろんなことを考えてしまうだろうし、それ自体が悪い事なのではない。


そういうことに引き摺られないことだ。


だからそのまま思いきってやって思いきって感じればいい。


それ以上でも以下でもないのだから。


そのように言いました。


           
南無。。。。。。



2019年1月24日木曜日

バンコクを旅して見えた自分の未来へのあり方

今が冬本番の日本を離れてバンコクへ夫婦で旅行へ行ってきました。


この旅が自分にとってどれ程の転機になったかを少しお話ししたいと思います。


何か人の生き方を改めて捉え直してみたい、

とか考えている方などのヒントにでもなればいいなぁと思います。


あくまでも今の僕から見た方向性で説明していきますので、

基本的に人には様々な面があった上でのその歩みとして読んでいただければと思います。


まず今回の旅の目的地であるバンコクに行くこと自体が

ここ最近の自分では考えられなかったことだったんです。


例えば普段街へ出かけるだけでも明確な用事が無ければ一切行かないほど

街のワチャっとした雰囲気を敬遠していました。


若かったころはそれこそ何かを見つけようと、

何の用事が無くても街へ繰り出していったものです。


でも、ただ物事を消費していくだけのような生き方をやめてからは、

街に渦巻くエネルギーがどこか間違った方向を向いているような気がして

自然の中にいて自分を整えられるようにしたくて街を離れていきました。


去年の11月に夫婦で興福寺を訪れて、

その時に僕の奥さんが釈迦如来像に感動した経緯から、

タイの涅槃寺、ワットポーにいる釈迦涅槃像に逢いたいということで

今回の旅は始まりました。


僕自身は今回で4回目のタイになるんですが、

涅槃寺だけは行ったことが無く、

ブッダ兄さん好きの僕もまさかこのタイミングで会いに行けるとは思ってませんでした。


前回行ったのももう20年も前になり、

ここ最近のバンコクの発展ぶりの話を聞くと

僕が好きだったタイの柔らかい雰囲気が残っているかどうか少し不安でもありましたが、

あの土地全体がオープンで陽気な雰囲気の中、

建物の高さが変わっただけのような感じにも思えました。


ただ行ってみて驚いたのは、

ここ20年という最近の街の発展ぶりで、

想像していた以上に綺麗で洗練されていて、

映画に出て来る近未来都市のような電光表示の看板に、

それらを気にすることなくスマートに動く人の流れの中、

この街がこういう風に発展しているのが本当に正しいのか?

という疑問も同時に湧いてくるのでした。


そんな中でも街の中心地にエラワンの祠と呼ばれる

バラモンの神さまブラフマが祀られているところがそのままあったり、

大都会の中でその場所がちらりと見えるだけの位置から、

通りすがりに手を合わせる人が居るのを見て、

そこに暮らす人たちの心の中には

大切なものがちゃんと息づいているのが分かりました。


でもこのような発展の裏側には必ず暗闇の面があって、

そういうところが発展していくことに対してどこか懐疑的に見てしまう、

僕が街を避けている理由となっているのでした。


でも僕が以前バックパッカーとしてバンコクを旅していた時、

同じように社会の闇の部分があって、

そこでたくましく生きている人達の笑顔に触れて、

どこか人生をナメていたような自分に気づかされ、

それから生きることに肝が据わっていくことになったのを思い出しました。


そしてこのような時代の変化があったとしても、

そこに生きている人達の真っ直ぐなひたむきさは、

20年前から色褪せることは無く、今でもギンギラギンにパワフルなままで、

見ていて少し笑ってしまうような明るさがあるのが

バンコクのいいところなんだなぁと改めて感じることが出来たのです。


そんなごちゃまぜのアジアらしさの中、

実はバンコクのオーガニックやヴィーガンへの移り変わりも

日本よりあるかもしれないと感じました。


セブンイレブンやローソンと同じように女子高生が

オーガニックのスーパーでお菓子を買っていくのです。


そういう幅の広さを生で見ることが出来て、

何か僕の偏ったものの見方に気付くことが出来ました。


今全部ひっくるめて一緒に未来を創っていっていて、

その中で人は自分に正直に一生懸命生きていることをまず認めないと、

何もその先に希望なんて見えてこないんじゃないかなぁって思ったんです。


例えば人類がこの星のことを理解するのがもうちょっと先になってしまったとして、

そのせいで犠牲になる何かがあるとしたら、

それを今知っていて辛い思いをしていると嘆くことと、

その時まで理解出来ずにいて

自分の一部分が無くなってしまっていたことで辛い思いをすることに、

何も違いは無いということを理解することが出来たのです。


そのどちらの考え方も、実は未来を創れていません。


もっと未来をどうしたいのかよく考えてみると、

未来を明るく照らして、今を幸せに生きたいっていう風に思ったんです。


ということは例えばこの星のことを今僕が考えて行動しているかどうか、

しかもそれが未来を心配してではなくて、

未来に希望を持って明るく行動しているかどうかの方が

大事だなぁと思ったんです。


そこに辛さを持ち込むのは、

僕の個人的な屁理屈のようなもので、

地球やこの世界は一生懸命未来に向かって行ってるだけなんだって思ったんです。


そう思うと誰かを単純に責めるようなことも思わなくなりますし、

目の前の人の一生懸命を評価した上で、

僕自身がするべきことに集中できて、

それが変な説教なんかよりもっと効果のある言葉のように

今を明るくするんですよ。


もしも今という時を明るい状態のままずっと維持していけるとしたら、

未来はどうなるでしょう。


そういう部分に自信が必要とか無いとかも関係ないんですよ。


今僕が感じているのは

本当にはどこに目を向けて

今何を感じて何をしているかに集中出来るかどうかで、

この世界って変わるんじゃないのかなぁって

そう思ったんです。



2019年の年明け早々に

自分の中から変に曲がったものの見方を取り去ることが出来たのは、

何となくあの涅槃のブッダ兄さんが見ていてくれたからなんじゃないかなぁって

そんな風に思う旅になったのでした。





2019年1月2日水曜日

明けましておめでとうございます。

今年のお正月は風は冷たいですが天気も良くて

とても心地よく過ごせるいいお正月を過ごせています。


みなさんはどんなお正月をお過ごしでしょうか。


昨年は本当にいろんな出来事が起こって、

自分の中にいろんな感情が湧き起こり、

それによってどんどん自分自身を見つめ直すことが出来て、

今ある自分を本当に信頼して行くことが出来た一年でした。


今までも信じていましたが、

どこかしら矛盾する部分を抱え、

その矛盾をいかに晴らすかというところにも

少なからず気を遣わずにはいられない自分に

もっとスッキリ出来たらいいのにという思いがあったのは確かです。


でも、昨年の多くの自然災害や

国内外で起こる人が人を卑しめる行為を目の当たりにし、

僕が僕自身に抱えていること、

そこで感じてきたいろんな事柄をもっと

素直に出していければもっと多くの人の役に立つかもしれないと

そんな風に思えるようになったのでした。


僕の人生の歩みはある角度から見れば、

とても特殊な人生を歩んでいるように見えるはずです。


簡単に説明することはとても難しいですが、

例えばバンドマンだったとき忌野清志郎さんの前座として

同じステージに立ったことがあります。


アンコールで呼び出されて「雨上がりの夜空に」を一緒に歌いました。


とにかく調子乗りだった僕は延々舞台の前のほうで客を煽っていたんですが、

歌が始まっているにもかかわらずやり続ける僕に

マイクを向けて「Hey Hey Baby!」の掛け合いをやらせて、

肩をグッと抱いた後、ステージ中央へ歌いながら戻っていきました。


その余裕のパフォーマンスを自身の体で経験した僕は、

そこから学んだことをどう活かすべきでしょうか。


彼が残した偉大な功績に対して僕が歩んできた道のりは本当に正しかったのでしょうか。


自分の過去の経験をただ単純に良かったなぁと

振り返ることが出来ない自分が居たのです。


もちろん今僕の身近にいる人達には僕の人生の何かを隠すつもりなど全く無いので、

みんな知っています。


でも、例えばこのブログのように不特定多数の人に向けた文章にするとき、

僕の経験をただの自慢のように捉えられたくない自分が居て、

少しベールをかけたような表現をしていました。


もっと簡単に言えば今の自分に本当の自信が無かったのだと思います。


でも、この正月という一つの節目を迎えて、

自分の中の何かブロックをかけていた部分を外そうと思ったんです。


あのロック史に名を残す忌野清志郎さんに肩を抱かれた僕が今言えるのは、

僕は今のところ自分に嘘の無い人生を送れています、

といったところでしょうか。


確かにあの時命を賭けてやっていたことから別の生き方を模索するのは、

本当に苦しかったですし、何回も「後悔」の二文字が頭を過ぎりました。


恐らくあのままあの道を行っていたら僕は生きていないと思います。


死ぬ気でやっていたのは本当で、

自分の中にあった矛盾を叩き壊していくことのために、

ロックという音楽を利用させてもらっていました。


人を嫌いになることができなくて、

でも人としての行いに疑問を抱かせる誰かに抱く嫌悪感を

自分のものとして叩き壊せるまで音楽というものにぶつけて

自分を保とうとしていました。


その後バンドを辞めてからお金が完全に底をつくまで

いろんなところを旅してまわったんです。


そしてまたお金を貯めては旅に出るというような生き方をして来ました。


いろんなことを経験しました。


ギリギリだったことなんていっぱいあります。


でもずっと何かを求めてそうやって来たのだなぁと思います。


その何かというのは、

例えばお金や名声や地位やそういう類のものではなかったんです。


もうちょっとあの場所で頑張っていれば若くして成功していたかもしれません。


でも、生きれていないような気がします。


僕が欲しかったのは、

そういった物ではなかったということです。


今から七年まえに奥さんに出会ってからも暫くは、理解出来ていませんでした。


でも、一緒に家族という一つの社会を創っていく中で、

お互いがお互いのために居ることの、

理想と現実や

相手を尊敬することの意味や

自分の意思をちゃんと伝えることの大切さを

学んでいくことが出来ました。


そして、この家族という安心感に満たされた場所を創りあげるその経験から

本当に僕が求めていたのは徐々に前々から薄々感じていたこと、

この世界が自分が生きていく上で本当に幸せで満たされていると言える場所であること、

僕はずっとそれを欲しがっていたんだということが分かったんです。


僕が音楽を好きな理由もそうだったんです。


そのための音楽を作ろうと昔に思ったことを思い出しました。


音楽だけではありません。


僕自身がこの世界に存在する理由は、

この世界を僕がどれだけ愛することが出来るか、

ということでもあるんです。


目を閉じてきた部分もたくさんあります。


耳を塞いできた部分もたくさんあります。


こんなもんだろう?って自分に言い聞かせようとしてきたこともたくさんあります。


この先自分の手の届かない場所なんていっぱいあります。


でも、自分の生きるこの世界で

その時自分に出来ることがあるなら、それを全部やっていかないと、

その時の自分はいつまでたっても「後悔」の二文字に追いかけられることになるんです。


少なくとも自分という人間はそうなんだなぁということが分かったんです。


こういう生き方をしてきたからなのかも分かりませんが、

僕は人として相当ピュアな部類に入ると思います。


人がどう言おうが自分が気になった事はやってみるんです。


そして自分なりの答えを見つけてから次を目指すという具合です。


そんな僕がこの世界へ今年最初に言いたい事は、

もっとみんな好きに生きよう!ということです。


例えば他人を攻撃ばかりしてしまうような人には、

それが結局自分に返ってくるということを、

素直に伝えられる自分がそこに居ればいいかなぁと思うんです。


だからもっともっと好きに生きればいいと思うんです。


僕もたくさんいろんな人から学ばせてもらいました。


きっとこれからもそうです。


だからって縮こまっていたら時間だけがどんどん過ぎていきます。


新しい時代を自分で創っていくことに、

この新しい節目はピッタリだと思った次第です。


この一年がみなさんにとって最高の一年になりますように。