今月、妻が誕生日を迎えて、
その時に本当に心からお祝いしようと思った事で、
僕自身が大きく気づくことが出来たことについて、
記しておきたいと思います。
その日へ向かう何日間かは、
今まで以上に妻に喜んで欲しいと思って、
ごちゃごちゃした感じではなくて、
シンプルな幸せを味わえるようにするには何がいいだろうと、
頭を捻って過ごしていました。
この秋に二人でバリ島へ旅に出てから、
二人の関係はとてもいい感じになっていて、
今まで以上に「その日」を最高の日にしたいと思っていました。
僕ら夫婦は今まで、
仲良くやってはいても、
ある時期毎にぶつかり合うことがしばしばで、
そんな時はお互いに
有り得ないようなネガティブを
存分に放出する一大イベントとなってしまっていました。
もちろんそうする事で、
お互い内側を見つめて
それぞれの成長に結び付く事象であったことには違いありません。
でも心のどこかで、
「え~っ!まだそう来る?」
という思いをお互い持っていたのは確かです。
例えば何があっても怒りに振り回されないようにする事が
僕の人生の課題であったとしても、
「それは僕にはして欲しくない!」という事を
一番大切にしたい関係性の中に見てしまうと、
どうしても一言付け加えたくなってしまっていたのです。
その思い自体を
相手に「理解させよう」と思った瞬間に
自分のわがままに変わってしまうと分かっているのに、
そこへ怒りのエネルギーも手伝って、
きついもの言いになってしまうのでした。
自分にとって不快に感じることを
ただ単純に伝えるだけの事に
とても難しい部分を含んでしまっていたのは、
僕自身の問題であると同時に、
この夫婦という関係を、
とても大切にしたいという思いから始まっていたのでした。
僕は人間関係とは、
自ら努力して作っていくものという風に思っているので、
妻との結婚も、
いろいろあるだろうけれど、
それはお互いの努力次第でどうにでもなると、
直感だけで出会って直ぐに電撃的に決めたでした。
男女が本当の意味でお互いを理解しあうということを、
家族という関係の中で行っていくということは、
ただ付き合っているだけの関係性の中で学ぶのとは、
全く別の話しだったということを、
一つ屋根の下で生活をしながら学んで行く事になりました。
僕の場合はこの経験がとても大切だったという風に思えるのに、
約5年の歳月を要しました。
早いか遅いかはまた違う話しで、
お互いが自分のままでいて
お互いの成長を相互に補完し合えるのには変わりなく、
それこそ自分の写し鏡が目の前に在るだけの事、
自分次第でどの様にでも変化するだけの話しです。
家族になるということは、
その信頼感はやっぱり他の関係性とは全く別のもので、
自然で完全に許していて、
でも他の何かと変えることが出来ない重さのあるものとして、
生活の全てに影響する繋がりを築く事です。
僕は基本的に
自分以外の人には、
全く自由にやってもらって構わないと思える人なので、
妻がどのように暮らしていようと、
自分のペースで生きていくことが出来ると思っていました。
そんな思いを持っていても面白い事に、
普段はそんなことしないにも関わらず、
僕との関係においてだけ、
妻がわがままなように見えて来ることがありました。
そういう事があった時、
僕自身の中にある乗り越えなければならない事、
例えば怒りを抱いても、
その感情に飲み込まれないようにすること、
その試練に自分で合格する為に、
僕の真我が目の前の妻を通して
妻の態度をそのように現れさせているのだと分かっていても、
どうしても怒りの顔になり
語尾に怒りを現してしまいます。
これは怒りを持つこととは別の状態であると、
今の僕は知っています。
例えば僕が経験したことで、
僕にとっての意味を知っているためにしない事があるとしても、
それが別の人にとってどうかもその人次第な上に、
その経験からその人がどういう思いを抱くかという経験の学びの最中で、
僕が経験した答えを押し付ける行為は、
その人の学びを奪う行為で、
僕のわがままにほかなりません。
その人が何を感じて、
次の段階へ進んでいくようになるかは、
その人が自由に決めていいのです。
それが家族であっても変わりありません。
それが分かっているにもかかわらず、
「それはこうしないとだめでしょ!」
みたいになってしまうことが僕の乗り越えるべきところだったのです。
不思議なもので
そこまで分かっていても、
乗り越えきれていないものは
同じような事象として何度でも現れてきます。
分かっているふりをしても
本当の自分自身をだますことは出来ないという事です。
そのような事象に無理やり感謝をしようとしても
本当の感謝は湧いて来ません。
目の前にいる人に
「このやろう~っ!」って思っていては、
そのようにしか返ってこないのは、
もう分かり切っているはずなのに。
でも、
妻自信の成長と僕自身の成長が、
リンクするかのように
僕自身が乗り越えて、
妻自信が乗り越えたことを感じた時、
僕の中には
怒りに対処しようとする必要なんかどこにも無かった
という感覚が既に自分の中にあったのでした。
そうすると不思議なもので、
相手の行いを正そうとするのではなく、
自分に起こったことのある経験談を
淡々と話すだけの自分が居ることに気づきます。
僕自身が経験したことを
僕はどう思ったか。
これはネガティブでもポジティブでも同じように、
淡々と話すことがとても大切なことなのです。
もちろん伝えるということには、
箇条書きみたいな文章よりも、
聞いていて疲れないような言葉を選んでいく作業は
重要なポイントであるのは間違いありません。
まだやっとそこへ辿り着いたばかりで、
これからその技術を磨いていこうというところです。
でもそんなスタート地点に立てたところで、
妻が誕生日を迎えたのです。
それはそれはお祝いをしないわけにはいきません。
妻の誕生をお祝いしながら、
僕自身も
この世界へ生まれて来たことへの、
奇跡中の奇跡を
どれ程味わう事ができるだろう、と
改めて思う一日を過ごすことが出来たんです。
夫婦という関係が、
こんなにも素敵なものだと
正直ここまでは思っていませんでした。
こういう一日一日を積み重ねていけば、
これからもっと幸せになっていくという事に間違いありません。
本当に大切に
そして丁寧に生きて行こうと思います。
そして妻への感謝も忘れずにいたいと思います。
ありがとうねぇ。