先週僕はバリ島へサーフトリップへ行って来ました。
今回で5度目、
約10年ぶりのバリ島になりました。
以前と比べると空港が新しく綺麗になって、
何も無かった場所に新しい建物が増えていて、
これからも発展して行きそうな場所がいくつもあり、
懐かしさと共に時の移り変わりが
少し切ない気持ちにさせるような、
そんな夕日が沈む時間に到着したのでした。
僕がバリ島へ何度も来る理由は、
やはりここに立つ波で、
日本ではなかなか出会う事の無い凄い波で
波乗り出来る確率が格段に高いということがあります。
もちろんサーフィンをしない人達も心地好く過ごせる、
南の島独特の緩やかな時間が流れる、
美しい海に囲まれた島です。
信じられないような色の魚や、海亀、
ジュゴンなどがすぐそこで泳いでいるので、
ダイビングをしに来る人も多いようです。
海から離れても、
山間部には綺麗な棚田を見ることが出来て、
その柔らかい雰囲気の中に
オーガニックな店舗の立ち並ぶ町もあって、
いろんな人が集まる素敵な島です。
島で暮らす人々はとても人懐っこくて、
屈託の無い笑顔で話しかけて来る人がとても多く、
言葉の違いがあるとしても、
こちらから心を開いていけば、
出会う人は真っすぐに自分と向き合ってくれることに気がつくでしょう。
人としてとても素直な人が多く、
気を張らずに過ごすことが出来るのも、
この島の魅力の一つではないでしょうか。
僕が初めて訪れた時には、
日本で何故か肩に力が入ってしまう自分を
見直すことが出来るその不思議な雰囲気のある島に、
すぐに虜になってしまったのでした。
特にサーファーである僕は、
サーフィンを通して海で頂ける深い気づきと、
海から上がっても島全体の雰囲気から頂ける安らぎに、
来る度に自分のおおらかさを取り戻しては、
生きることとは何なのかをはっきり意識できるようになる
特別な場所になっていったのでした。
前回行った時に乗った
人生最大の波に出会ったサーフポイントの
真正面に建つホテルから見える海の写真を
たまたま妻が見ていたことからそこに行くことに決めて、
今回のこの時期に自分にとって特別な場所へ行くことがどれ程の意味を持つのか、
考えないようにするのがとても大変な日々を送るのでした。
そこはウルワツという地域にある
インポッシブルスと呼ばれるポイントで
世界中のサーファーがその波を乗りに来る程、
美しい波の立つ場所です。
僕は前回来た時に約9feetの波、
大体自分の身長の3倍ぐらいの波に乗ることが出来たのですが、
その波を乗り終えた瞬間にはっきり見えたことがあったのです。
この波に乗るということは、
この地球が出来てから何万年もかけて溶岩が沈みこみ
また何万年もかけて海水による浸食でその場所に波のエネルギーが集まるような地形ができて、
南極のあたりで発生した巨大な低気圧で荒れた海から
何千キロも離れた赤道に近いこの島まで届く地球の大きな営みのエネルギーが
僕を軽々と持ち上げて運んでいくということなのだという
途轍もないヴィジョンとなって自分の中に落とされたのでした。
その時から僕にとって
波に乗るということはとても神聖な行為で、
僕の中にある神聖な自分自身と
それを司るもっともっと大きな神聖なエネルギーとが繋がるとても重要な
それでいてとても楽しい御神事として
またライフワークとしてするようになったのです。
その聖地にまた行けるのだと思うと、
興奮を抑える方が不自然なのでした。
今回僕が着くタイミングで大きなうねりが届き始めて、
前回程ではなかったにしても、
最大で7feetぐらいはあったと思います。
海に入る前に海に一礼して
このポイントにいる人々がみんな怪我が無く楽しめるように祈ってから、
沖に向かって漕いでいきます。
ポイントを陸から見るよりも実際に海面で見ると波は途轍もなく大きく見えます。
自分の身長より大きくなる波は、
横へもずっと水の壁を作っていて、
高さが2メートル以上、
横に50メートル以上の水の壁が、
水平線の向こうからどんどん近づいてきて、
海底がグッと浅くなる地点で、
一気に崩れ始めます。
一本乗れるまでは、
口から心臓が飛び出て来そうなぐらいの恐怖に
押し潰されそうになります。
その日の波の崩れるポイントを見極めて
タイミングとポジションがちょうど良くなるように
自分のいる位置を確認して
次のタイミングを待ちます。
外洋を渡って来る大きなうねりが
その日は10分に一度づつ3本のセットでやってくることがわかると、
その3本目に合わせて波の崩れ出すギリギリの場所に自分が来るように漕いで
どの方向に人が居るのかを見てから、
波が崩れる前に板がすべり始めるその瞬間に
上体を反らして一気に立ち上がります。
ずっと遠くからやってきた波のエネルギーが海底にぶつかって
水を上に押し上げようとする力に、
板のエッジを立てて水面を強く蹴ると、
板は波の一番上の高さまで一気に駆け上がります。
今度はそこでエッジを抜いて、
体重を板の前方に乗せていくと波の斜面を一気に降りて行きます。
そうやって波のスピードに合わせながら、
波のエネルギーの上で感じたのは、
その瞬間は全部見て覚えているし、
いろんな音も聞こえているんですけど、
何も僕というものを区切っているものが無くなっていて
ただエネルギーと波長が合っている状態になっていて、
肉体的な気持ちよさとか、
精神的な気持ちよさとか、
そんなことはどうでもよくて、
見ること聞こえること以外は全部消えてしまって、
何も残らない自然の美しさだけの世界が見えるようになっていたんです。
乗り終えて見回してみても、
そこにはもうさっきの波は無くて、
僕が乗った形跡は一つも無くて、
恐怖に緊張していた自分は何だったのか
良く思い出せないぐらい嬉しさで満たされていて、
心の底から「よっしゃ~!」って叫んでたりしたんです。
怖さは完全に消えて、
波が来るのが綺麗なだけだったり、
他の人が乗っていったのを見て楽しく思ったり、
ちょうど自分のところに来た波にまた乗せてもらったり、
ただそこに展開する物事がとても幸せなことなのが分かって、
僕がその意識を持っている張本人なのだということだけ、になったのです。
その日に海から上がる時、
足の裏を擦って少し切ってしまったので、
今回の旅では海に入ったのは一日だけになってしまったのですが、
そこを無理して入らない自分自身に余裕が出来ていたのも、
それからの旅をパートナーである妻との楽しい時間として取れたのも、
あの場所にあるものに僕というものを溶け込まさせてもらえた時間があったからでした。
僕にとって幸せとは、
その瞬間にそれそのものに溶け込んでいる僕自身の意識が感じているもの、
そういうことなのだと腑に落ちたのでした。
今回の旅での食事は
ちょっと晴れの日に相応しくしようという思いもあって、
完全ビーガンから少し緩くして
フィッシュベジタリアンぐらいの感じで
妻とレストランを回りましたが
どこもベジタリアンメニュー、ビーガンメニューが出ていて選びやすかったです。
今回のサーフィンでの気づきの後は、
僕自身がサーフィンと言うライフワークを通して
一生学んで行くことにもう何の迷いもないことが確認できたこともあって、
とても豊かな時間を過ごせました。
いろんな人と出会い、その人たちが通り過ぎていきました。
中にはネガティブな感じになってしまいそうな場面もありましたが、
なんというか、
もうそういう事でさえも流れの中で起る一つの通過点でしかないのだから、
別に引きずられて一緒にネガティブになる必要もないんじゃないかなと、
後で見れば何も残らない波のようなものだと思うようになっていたんです。
とても大きな意味のあった今回の旅は、
またあのウルワツ、インポッシブルスで気づかせてもらったのでした。
ウルワツの岬は断崖絶壁になっていて、
古い寺院が建っているんです。
そこには海の精霊が祀られているんですが、
僕が毎回あの海でシンプルに整えられていくのを見守ってくださっていて、
またいつでも来なさいって言ってくださっているような気がしてなりません。
あの波にチャレンジするには
肉体的にも精神的にもちゃんと整えておかないと行けない所だと思います。
これからもまだまだ僕のチャレンジは続きます。
海の精霊様これからもよろしくお願いします。