2017年6月22日木曜日

真実の取り扱い説明書

今年も夏至が過ぎて、

暑さはこれからが本番になって来ます。


面白いもので、

太陽が地表を照らす時間は、

これから減っていくにもかかわらず、

秋分を迎える頃まで、

暑さが和らぐことはありません。


熱源である太陽エネルギーと

それを受け取った地上のもの達との関係によって

これらの暑さは作り出されるからです。


夏至に至るまでに、

地上のもの達へ取り込まれた目に見えないエネルギーは、

実りになって行くまで、

どんどん放出されながら

この北半球の地上で働き続けます。


そしてその実りが次の実りを創る準備が出来るまで、

休息の時を過ごします。


このようにこの世界では、

目に見えるものと目に見えないものの関係によって、

新しい瞬間を作り出していることを考えると、


自分の望む未来に向かっていくためには、

今ここにある物と

そこに働いている目に見えないものをどう捉えるかが、

とても大切なのが分かります。


例えば1+1=2になるにも、

そうなる条件が必要なのです。


林檎を一つ、二つと数えるだけなら、

ただの算数で済みますが、

実際の生活においてはいろんな条件が重なり合う中で物事が進んで行きます。


時間によっても物事は同じままではなく、

絶えず変化して行きます。


一つの林檎も時が経てば、

一つの林檎でなくなるということが起きるのです。


そんな現実世界に於いて

1+1=2になるのは奇跡と呼べることなのです。


でもそれこそ実は奇跡でも何でもなくて

ごく当たり前のことが当たり前に起こっているだけだったりします。


当たり前のようで、でも複雑に見えるこの現実世界を

縦横無尽に自由に羽ばたいていくには、

ほんの少し解釈を変えて

ここにある物事とここに働く力の関係を理解して、

現実の流れを整えていくことが重要になります。


良く、現実は人によって違う、

と言われることがあります。


目の前のことは一つでも、

人によってそこから感じることが変わって来れば、

その後の行動が違って来て、

違った結果が現れて来ることを

そのように言い表した言葉です。


人の持つ多くの感情は、

ほぼ同じ条件で物事に反応するため、

多くの人が共通の経験則として捉えていて、

それこそ真実だと思っている人が多いと思います。


悲しい思い、辛い思い、痛い思いなどは、

出来るだけしたくないと思っている人は多いと思います。


でもその感情を抱いた後の反応は様々です。


いつまでも自分の殻に閉じこもってしまう人、

とにかく発散しようとする人、

自分と同じ状況にいる人とシェアしようとする人、

細かく分析して内的変化を思考で捉えようとする人、

もっといろいろあるでしょう。


楽しさや嬉しさなどの感情へも実は様々です。

いつまでもそれに浸っていたい人、

とにかく行動に全部出てしまう人、

嬉しくてシェアして回る人、

浮足立って大雑把な行動に出てしまう人、

まだまだいろいろあるでしょう。


こういった感情に対する反応は、

だいたい同じ方向性を持っているとしても、

周りの環境などによっても微妙に変化して、

同じ人でもその時その時によって

出方が変わってきます。


その微妙な差で、

その後の変化に大きく違いが出て来るという場面に

出くわすことがあるかもしれません。


そんなつもりじゃなかったのに、

周りの人との調和が乱れてしまったりしたことは無いでしょうか。


自分の見ている現実が、

周りの人と違うということを現わしている状態です。


今ここにある物事と

それによって反応した感情と

その感情エネルギーが自分に働きかける力と

それを表に出すために得てきた経験からなる表現力とが、

合わさってまた一つの現実を創っていっているのです。


それを人と人との触れ合いの中で表そうとした時、

あまりにも突拍子の無い状態では、

次へ繋がっていくことが無くなってしまうので、


大体同じような行動をとるようにすることで

共通の感情変化として理解し合い、

ほぼ「常識的」な真実として感じるようになっていました。


多くの人はそれをそのまま真実だと思うようになってしまったのです。


人が普通に生活する上では、

人と人とのコミュニケーションがほとんどなので、

そのような「常識的」な形ばかりに気が行って、

真実が見えにくくなってしまっていますが、

そんな人と人との関係性においてでさえ、

様々な力が働いてここに在って言葉を交わしているのです。


その様々な力は

その場所でそうやって言葉を交わすことで、

自分が何処へ向かって行きたいのかを、

自分に問いかけるように働きかけます。


気が付いている人は、

自分の話す言葉によって、

さらに自分の向かうべき場所を確かめます。


そこに様々な力が働いていることを知っているからです。


目に見えている物事とそこに働く力が、

自分をどこへ運んでいこうとしているのかを知っていて、

自分がそこへ行くことを拒むことなく受け入れていて、

さらにその力を利用して未来を創っていっているのです。


そこに働く力の源を知っていて、

それによって反応している自分を生み出した源を知っていて、

さらにそれらが合わさって導き出す未来も同じ根源から来るものでしかないなら、

今ここに感じていることはもう

永遠でしかありません。


ここまで理解できてしまえば、

今起っている物事も

その物事に働いている力も、

誰かの我がままでそうなっているものなど無いということが分かります。


例えば辛い思いをしている時も、

そうなるべくしてそうなっていて、

その感覚をちゃんと理解しなければ、

次へ進めないと分かって、

自分が選んでそうしているということを、

周りに起こる出来事がサポートしてくれている状態、

まさにこのことを真実ということが出来ます。


その時、

その自分をどこへ導きたいか

自分で選択する自由があります。


その自由は完全な自由です。


その自由に触れた時

初めて手にする力があります。


それが目には見えない部分の自分なのです。


それまで様々な形で自分に働きかけてくれていた力は、

そこではとても静かになります。


そしてその自分に問いかけてみましょう。


次はどこへ行きたい?


その自分が新しい景色を描き始めたら

また周りには様々な力が働き始めます。


見えたヴィジョンが実るまで、

この地上で働き続けます。


真実というのは

目に映るものと、

目には映らないものが

お互いに協力し合うことで

新しい未来を描き出す力のことなのです。