2016年12月30日金曜日

輪廻転生という宇宙

ここに記す宇宙は、

僕の経験に基づいて出来上がった、

全くもって私的なものです。


読んで下さる皆さんの宇宙を創造する上での

参考資料としてもらえれば幸いです。


僕には生まれた時の記憶があって、

「またここから始まりかよ~!」と、

思っているを覚えています。


その前が何だったのかは、

はっきりしないんですが、

目を開けたらとにかく眩しくて、

手足が思い通りに上手く動かないのを、

「しょうがない。。。」と

自分に言い聞かせた時の景色がハッキリ残っています。


輪廻転生という言葉を知るのは、

もっと後になるのですが、

その仕組みを理解出来るように

さらに経験を積んでいくための時間が必要でした。


僕の身体は一つの生命集合体で、

数えきれない程の「命」がそれぞれに

目的を持ってそれぞれの「命」を全うするために、

僕の身体へと集まって来た結果です。


無数の菌が僕の腸内にも、

皮膚にも血液中にも居て、

彼らに必要なものを、

僕が適切に摂っていくことが、

僕の身体と心を維持していく上で

とても重要なことになっています。


菌ならば生命活動と言っても、

理解しやすいと思いますが、

皮膚なんかも新しく生まれて死んでいきます。


そう見ていくと

僕の身体は一つの小宇宙です。


生まれては死んでいく「命」が

それぞれの役割りをきっちりと担ってくれて、

そのお蔭で僕は僕の成長していく過程を

味わうことが出来ています。


このような関係性は、

僕にとって地球、

地球にとって宇宙、

宇宙にとって神さま、

神さまにとってさらにその上の神さま、

という具合に視点を変えると

「命」を司る主体が変わってきます。


「命」はそれぞれに学びたいことや目的が違うのですが、

共同体を形成するのは大体同じような感覚感性を持って、

一緒に協働できるものたちが集まることで、

一つのエネルギーとなって結合します。


この世に出てくる時に、

自分という意識を身体に纏って

それを使って自分の目的達成を目指します。


目的自体を変えることも自由ですし、

どうやっていっても構いません。


生まれるということ自体が

大きなエネルギー変化の結果なので、

それ自体を目的として現れてくる「命」もあるでしょう。


この地上は自分の成したいことを成す

最高のステージとして存在しているので、

みんなが思い思いの学びを経験します。


喜びも悲しみも

それを通して「命」自体の力に触れるまで、

気の済むまで学んでいきます。


この「命」は、

思いが結実したものなので、

その思いがある以上

結んでいくエネルギーを生み出し続けます。


思いが意識を創り

物質を創っていきます。


無くなるのは変化する物質が

物理法則上そうなるだけで、

思いがあれば物質が生み出されていきます。


思いが消えなければ、

繰り返し生み出され続けます。


「命」もその繰り返しを

ずっと続けるのです。


その時、

生まれる「命」が必ずしも大きな目的を持つ必要もないので、

生きている間に自由であることの洗礼を受ける場合もあります。


それが迷いとよばれるものです。


どこへ向かったらいいのかが

分からなくなってしまったとしても、

思いが消えなければ延々と繰り返し続けます。


今の時代は

人が人の生きやすいようにしか、

地上を創っていかないこともあって、

とにかく人としてしか生まれてこられない「命」も

多くあるように感じます。


もっと海の優しさを感じたかったり、

土のパワーを感じられる「命」の在り方もあるのですが、

人として学ばざるを得ない時代なのでしょう。


この経験を通して

どこへ向かっていくのか

それぞれが魂の奥深くに刻み込んでいる

そんな時代に生きています。


なんの意味も見出さずにいても、

生きていたいという思いだけで、

何度も何度も生きては死んでを繰り返していきます。


僕は今ここに結ばれた

「命」の有り難さに気が付くことが出来たので、

その「命」を育むことを

最大限の目的にしています。


それが僕の思いにもなっています。


僕にとっては、

僕の「命」を育んでくれるもの全てが

「命」として存在しているので、

この星も、

そこに生えてくる木も草も

虫も魚も動物も

風も雲も石も水も

それらから生み出される机や食器なんかも

一緒に生きている共同体です。


そういうところで見れば

ちょっとムカつくオッサンなんかもそうです。


僕に学びを与えては消えていくのです。


食べ物もそうです。


僕が選んでいるようですが、

細胞単位で共に生きていくことを選択してくれた

彼らの思いも一緒に

この身体と心を創ってくれています。


あるものは皮膚になって、

あるものは骨になって

生まれ変わっては死んでいきます。


そうしているうちに

僕に受け止められない思いを抱く「命」を

食べることが出来なくなりました。


それが素晴らしいとか

そういうことではありません。


彼らの思いを昇華させられるほどに、

素晴らしい思いを持って生きる人達も大勢います。


でも、

僕に受け止められない思いは

僕の「命」に与える影響を考えたとき、

僕には必要のないものとして

感じるようになったのです。


僕が「命」に思いを馳せる日も

いつか十分になしえたと感じるようになったら、

その時全てをこの宇宙にお返し出来るように

この「命」を丁寧に綺麗に使って生きていこうと思っています。


それまで、

共に生きてくれる「命」達に

最大限丁寧に接していこうと思っています。


そしてもっと多くの「命」が

思う存分に輝き続けられるような

そんな地上にいる自分を見てみたいと思っています。


そのためにはまだまだ学ばなくてはならないことが沢山あります。


何度でもチャレンジしたいと思います。



2016年12月20日火曜日

バーチャルリアリティ

今この地上に展開している世界が

バーチャルリアリティだとしたら、

皆さんはどうしますか?


何処かの映画で見たような話しを

連想してしまうかもしれませんね。


でも実はこの世界というのは僕ら自身の捉え方一つで、

空想や妄想と言った仮想現実を過ごしてしまう

というお話しです。


ここ最近の世界の至るところで起きている事柄に

今後の混乱を危惧される方も多いと思います。


人道的に許されるべきでは無いようなこと、

今後の生活を不安に陥れるようなこと、

そういったニュースが飛び交って、

多くの人々がそれに呼応して

いろんな意見を様々なメディアを通じて

発信しています。


ニュースから感じることや、

そこに見えてくる人としてのあり方や、

正しいこととは何なのか

その報道自体が真実か嘘かも含めて、

いろんな言葉が飛び交います。


全くの嘘であればいいものの、

起きてしまっている現実があるのは否めません。


なんとなく楽しいことにのめり込もうとしても、

メディアに繋がればどこからともなくまた嫌なニュースが流れてきます。


そういうニュースは常にどこかに流れていて、

それらが自分の未来への不安にならないように、

僕らは何かしら対処しなければならなくなっています。


よくある陰謀論の話しを知るようになると、

例えば起きている事実の裏側を見ていけば

確かに繋がってくる部分が沢山あって、

人道支援としての謳い文句で行われていることの多くが

そこに莫大なお金が動く戦略の一つであるのは、

ごく当たり前のことだったりします。


そういった綺麗に飾られた言葉の裏側で、

実際の利害関係がこの社会を動かしているのは、

当然と言えば当然のことで

政治や経済、環境、民族、全ての問題の根本が

その利害調整を誰がどんな目的でしているか

にたどり着くのです。


そしてその利害関係に関わる人達すべてが、

それぞれに思う正しさに従って行動しているので、

一般に言われるような正しさに沿わないことも、

嘘も方便で行われてしまっているのです。


そんな複雑な部分までも、

調べればいくらでも知ることが出来るようになって、

この世界が向かおうとしている未来に

本当に明るい兆しが見えなくなりそうな、

この混沌とした今、

多くの人が真実を求めて

世界へ向けて働きかける時代になって来ています。


多くの人が世界平和を望んで、

自分に出来ることの中から

情報を共有するようになってきました。


間違いを正していくのに、

一つづつ知ることから初めて、

過去を学び直し、

現在に生かすことの出来ることは何かを

お互いにすり合わせながら検証していると言えると思います。


そうしながら本当に大切なこととは何なのかを

一人一人が見つけ出す作業が行われていると思うのです。


ここで僕は少し気を付けたい事があります。


僕を含めた人間が、

今ここで過去の清算をするべき時代に、


今が変化の途中で激しく見えるところもあって

不安を抱えた状態での検証が多くなってしまっています。


もちろん今まで目を背けてきた結果なので

真正面から捉え直さなければならなりません。


美化したり茶化したりせずに

まずありのまま受け入れる必要があります。


人によっては受け入れられずに

捻じ曲がってしまう人も現れています。


そういった人たちが作り出す

捻じ曲がった世界を現実と見間違えないようにしなくてはなりません。


過去にしてしまった過ちから

自分の答えを見つけることが出来たとしたら、

二度と繰り返すことはありません。


過ちを繰り返してしまう人達の理屈は

もっともそうな言葉で飾られていて、

その言葉の世界に正解があるかのような錯覚を与えてきます。


その言葉達はその人の頭の中だけでしか繋がらないので、

他の人にとってはどこまでも堂々巡りをさせられるだけに終わります。


そのことについて頭でグルグルとしてしまうのです。


その間に広がる妄想が 

今、目の前にある現実から

意識を引き離してしまいます。


そのときそこはある種のバーチャルリアリティだと思うのです。


言葉面がいかに綺麗であっても

自分が出来るか出来ないかは関係ない世界です。


正しいかもしれないことを

言葉で言えればいいだけで、

行動を伴うことはありません。


そんな時、

僕は真実の在り処を見つけるには

自分で行動するしかないと考えたのです。


現実世界にしっかりと足をつけて

行動することが解決に向かう唯一の手段でした。


言葉はその行動に裏打ちされて初めて真実となりました。


行動していく中で、

学んできた言葉の意味を知ることも出来ます。


自分の足で歩き、

自分の手で触れて、

初めて言葉に意味が宿ったのです。


それが嘘になりようがありません。


ものすごくシンプルな世界です。


自分の触れたことの無いものは分からないし、

分からないことを表現することはできません。


表現する必要もありません。


自分の目の前に現れる課題に

100%全身全霊で取り組むことでしか

自分の答えを見つけられないのに、

それ以上のことをする必要は無いんです。


それぞれにそれぞれの課題が生まれてきます。


それぞれがそれぞれにちゃんと向き合うことで、

この世界は完全にハッピーになります。


今はその過程にあります。


まだ逃げ続けている人が沢山います。


それぞれの課題はそれぞれの人のものなので、

誰かが代わりに片づけることなどできません。


自分の課題に気が付いて向かい合い

全身全霊で取り組んだ人から先に

本当に自由になっていくでしょう。


未熟でも幼稚でも自分と向き合うことに

優劣は付けられません。


誰か他の人と競い合うことでしか勝てないような

そんな弱さに同情することはありません。


堂々と自分の課題に取り組めばいいのです。


本当のリアルな人生はそこから始まります。


自分の課題に取り組み続けることが

生きていることそのものなのは当然なのですから。


誰かに評価されることでもありません。


でももうそこでやっている人達は、

お互いをリスペクトすることができます。


分かり合うというのは、

そこに行けば勝手に分かり合えるのですから、

分かり合おうとしてお互いを罵り合うのでは

意味がないのです。


もうじきに嘘をつくのもばかばかしい時代がやって来ます。


自分に与えられた命を

どうするのがいいと思いますか。


答えは自分にしか分からないようになっていいるんです。


自分の中にあるんです。